前里光秀大学⑥ スライドする変化エリア 

同じ本を読んでも人によって受け取る情報量などに
差が出るのはなぜでしょうか?





それに答える前に
以前に前里から、こういうようなことを教わりました。


「一真くん、読書というのは自分自身との対話だよ。
 自分の考えを問いかけて、それについて答えをもらう」





この文章は正確ではありません。

半分くらいは当たっていると思いますが
「答えをもらう」ではなく、「作者との対話をする」
だったかもしれません。


どちらにしても、「読書をする」ときに行っているのは
自分の心を通しての、自分の思想と著者の思想とのコミュニケーション。

それを今回のテーマに言い換えれば、
「変化」というエリアの確認です。



何度も繰り返しますが、自分のエリアは
すべてを持っています。

前里も自分も、すべてを持っています。

その中でも「知っている」「知らない」というような
分類わけをしている項目に(A、B、C…に)アクセスし、
エリア内であることを確認していき
すぐに「分かる」「分からない」というラベルを貼ります。

そして、この行為に差が出ます。






もう分かったと思いますが、
なぜ前里と僕の読書から受け取る情報量などに
大きな差があったのかというと、

「どれだけ自分のエリアとその中を知っているかどうか」

に尽きます。








「自分のエリアはどこまでか?」

「自分のエリアはどの程度立体か?」

「自分のエリアは宇宙規模のどこまで?」

「自分のエリアの次元超越はどの程度?」

「自分のエリアは今後どうなっていくのか?」


「自分のエリア内はどういう様相か?」

「自分のエリア内の壁は透過式か?」

「自分のエリア内は同時着地はいくつまで?」

「自分のエリア内はどの程度整備されているか?」

「自分のエリア内は今後、どう発展していくのか?」





そういうような自分自身との対話が、
ある下記のような命題に答えをもたらします。




















「自分とは、どういう存在なんだ…!?」














それを「知っている」「知らない」が
すべてをもっているエリアの中を変化・移動・回転するとき
いかにシンプルにスピード感をもって滑ること
へとつながっていきます。


そういうようなエリア内とそのスライドを、
「在り方」といって前里は具体的に講義していきました。









前里光秀研究所 和田一真
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