川満由希夫 vol.18  「幽霊レッスン」 

前里が面白い話を始めました。


「自分は幽霊に対峙するレッスンを受けたことがある」


その時はやはり恐怖心が出る、

そして身体が動かなくなる。

幽霊の念で。


相手が固まっているから、

こちらもガチガチに固くなってしまう。

レッスン中だとわかっていても

かなり本気で戦おうとしてしまう。

「これはやばい」

という防衛本能がそうさせる。

それが何回かある。



「なんだその話は??」

と思いましたが、

僕はワクワクしていました。

幽霊レッスンって面白い。

そしてちょっとカッコイイ。

などと思いながら、ふと頭に浮かんだ疑問を聞きました。


「結局、幽霊って何で存在するの?」



ここからまた面白い話が始まります。


実は人間の集合意識の「負の部分」の表現だったりもする。

宇宙人からはそういう説明を受けている。

集合意識の負の部分なのだから、

怖いと感じるのは当たり前。

個人ではないから。

負を一気に集めて迫ってくるから怖いんだ。

たとえば不慮の事故で亡くなった方が、

負を集めて出てくるということもあるから、

事故現場で幽霊が… という話は嘘ではない。

でもすべてがそうするわけではない。

負を集める人もいれば、そうじゃない人もいるが、

それはどちらも幽霊であることに間違いはない。

しかし、負を集める幽霊は人間に害を及ぼす。


集めない人はあまり気づかれない。

でもいる。

だけど、ずっといるわけではない。

別のリアリティにいながら半分こっちにもいるような状態。

残像思念が残っている。

残像思念は自縛霊ではない。

浮遊霊といわれる存在がそうである。

実際にはいたのだけど、今はいない。

その思いや残像思念を、感の鋭い人が見て

「幽霊だ」と思う。

それは「過去に触れた」

という表現が近いかもしれない。


また、周波数は人間より高いけど、

思いっきり周波数の低い状態に

無理矢理なっている場合もある。

それを、同じくらいの周波数の人が感じて

「幽霊を見る」という体験をする。


だから昔から言われている

「波長が合ったから見る」

というのは間違いではない。


悪さをする幽霊がいて、

「祟り」というのも実際ある。

でもそれは人間の観念が創り出すものでもある。


だからそれを断ち切る人というのが必要。

除霊という言葉があるが、

それをしなければいけないということはない。

状況を説明するだけで解決することではある。

でも「徐霊をする」というわかりやすい行為が

その観念を断ち切るという方法でもある。


「現実は自分で創る」


という作用がここでも働くことになる。

また、「相手」と思っている幽霊も、

実際は自分の意識である。

だから幽霊は自分とも言える。

なぜなら幽霊でさえひとつだから。



そして僕は最後のこの言葉が印象的でした。



「でも、ひとつだということもわかった上で、

別物だということもわかった上で"遊ぶ"」



幽霊の話はこれで終わりました。