川満由希夫 vol.3  「不幸に見える」 



その日のセッションは2件だけでしたので、

セッション終了後は食事をとったりなどして、ゆっくり時間を過ごしました。



そしてその翌日の夜に、僕はこれまでにない体験をすることになります。



テーブルに前里と向かい合って座り、

他愛もない話から仕事の話などをしていました。

そして、ある電話をきっかけに深く仕事の話に入っていきました。

それは学園での仕事の内容についてでした。

一真君、剛さんの動きや、その方向性。

教室の運営や、塾長としての僕の役割、仕事に対する姿勢、細かさなど。

内容の大半は代表取締役という前里の立場からの「僕への指導」というものでした。

当たり前ですがそこに軽い空気など一切存在しません。

冷静に淡々と仕事について話す前里の前で、

僕はさほど言葉を発することもできず、ただただ黙り込んでしまうような状態でした。


そして話はどんどん展開していきます。

僕、川満由希夫という人間の生き方、人生についての話に深まっていきました。

それは、多くの人が人生の大半の時間を使う仕事というものに

本当に本当に真摯に向き合っているか、ということが、

本当に本当に人生に向き合っているか、ということにつながるからです。


「今の人生はどうで、これからどういう人生にしていきたいのか」


この質問に僕は答えることができませんでした。

普段はそれを考えているつもりでした。

しかしそれは、本気というものを前に答えるにはあまりにも表面的でした。

というよりも、「本気でそれを考えたことがなかった」

という結果を目の当たりにしただけでした。


「人生に向き合うことが大切だ」ということについての僕の理解は、

とても表面的で、頭でその言葉を覚えているという程度のものでした。


でも実際はそれを知っていたと思います。

知っていながらこのくらいで大丈夫だと自分に言い聞かせ、

前里の言葉に込められるものと、自分の心が感じているものの違いを

見て見ぬふりをしていたのだと思います。

そしてそのうちその違いすら感じることもできなくなり、

自分で創る、表面的で居心地の良い殻の中に入り込んでしまったのだと思う。



「自分がどういう人生を歩みたいのか」

それが「わからない」という状況。

僕は愕然とし、悔しさと、情けなさの中でただただ沈黙を続けていました。

ただし、実際その時点での僕は

「たいして愕然としていなかった」ということを後から気づくことになります。



話は続きます。

その時はもう時間がどれくらい経っているのかもわかりませんでした。


それを答えることができない自分とはなんなのか。

本当にそれでいいのか。

前里からの質問を受け僕は、単純に「嫌だ」と答えました。


前里は続けます。

今の自分を嫌だと言ったことの重大さに気づいているのか。

その言葉は、これまで僕が出会った人すべてに対しての攻撃だと言いました。


そして、自分から見たお前は不幸に見えると言いました。


この強烈な言葉は、前里の本心であり、何よりも愛情でした。

僕がこのままで在ることを許さない。

それは、幼いころからずっと一緒に歩んできた親友に向ける愛情であり、

これまで僕が出会ってきた人達、これから出会うであろう人達に対する礼儀でした。


話し始めてからここまで、4時間は経っていたように思います。

人生の中で、これほど自分の心を見つめたことはないです。

決して心地の良いものではありませんでした。

それと同時に、自分が心を見るということから逃げ続けていたこと知りました。

しかし、自分の中に逃げているという感覚はありませんでした。

これは、先ほど書いた「見て見ぬふり」とはまた微妙に違う意味です。


そしてこの後、僕はある瞬間を迎えるのです。



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