川満由希夫 vol.6  「出産、遊びに来た瞬間」 





予想通り夜はほとんど寝れませんでした。

夜と言ってもほぼ朝のような時間でしたが。


興奮していたからというわけではないです。

SANが来たからでもないですが。

でも、もしかしたらそうだったのかもしれない。

僕がどんな夜を過ごしたのか。


実際は寝ました。

でも、必ず起きてしまうのです。

腹の奥底から胸のあたりにかけて、

今まで感じたことのないエネルギーのようなものが

何度も何度も湧き上がってくるのです。

その衝撃に驚いて目を覚ます。

そしてまた寝る。

またエネルギー… の繰り返しで、結局まともには寝れませんでした。

その正体がなんだったのかは未だにわかりませんが、

おそらく自分が元々持っているものを

ただ体感として感じていたのでしょう。

それほどまでにパワフルで価値満タンだということを。



午前3時頃に眠りにつこうとした僕は、

午前6時にはそれをあきらめてパソコンの前に座っていました。


そこでまた不思議な感覚がありました。

全然疲れていないのです。眠くない。

たった3時間しか寝ていないのに、というよりまともに3時間も寝ていないのに。

とにかく気分爽快でした。

そしてゆったりと、クラシックを流しながらコーヒーを飲んでいました。

そしてあることに気づきます。


変な話ですが、僕には変な癖がありました。

何もしていなくても、気づいたら左肩を首に近づけるように上げている。

という癖です。

いつからそうなったのかはわからないですが、とにかく常にその状態。

勝手に骨格のゆがみが原因なんだと思っていました。

でも、ふと気づいたらそれをやっていないのです。


「肩が下がっている」


他の人からしたらそれがなんなんだという話かもしれませんが、

僕はびっくりしました。

肩が下がっているんです。

単純に楽だと思いました。

そしてそれは力が入っていたからなんだと気づきました。

ずっと力を入れたまま生きていたんだと気づきました。


体調が変わるということがすべての人に当てはまるとは思いませんが、

仕組みとしてはありえます。

大きなシフトをしたのだから。


「大きなシフト」という表現が的確だとは思いんませんが、

その方が伝えやすいので。



そしてしばらくして前里が起きてきます。


「気分はどう?」


僕は「爽快」と答えます。


この日、前里はある用事で午前中は出かけることになっていました。

気分爽快な僕は、散歩がてら途中まで一緒に行くことにしました。


そして昨夜の話をしながら、2人でゆっくり歩いていました。

前里は、これからたくさん伝えたいことがある、

これからがもっと楽しいんだと話してくれました。


価値満タン、豊かさ、人の為に生きること、その素晴らしさ

歩きながらいろんな話をしていました。

僕は自然にその話を聞きながらうなずいています。

そして前里がこう言いまます。


「俺の言っていることがわかるの?」


珍しく前里が興奮しているように見えました。

そして、もちろんわかるからうなずいていた僕は、「わかる」と答える。


「宇宙人以外でこの話が通じる人に始めて会った」


前里は笑いながら言いました。


そして

"フルトランスに入る時が一番ワクワクする"


確かそのようなことを言っていたのを思い出しました。

それは、自分の言葉が通じる人達に会えるからということでした。



笑いながら話している前里を前にして、僕はなんだか笑えなかった。

実際は笑いましたけど。

それはなぜか。

前里が言っていた言葉をふと思い出したからです。


「この仕事はある意味で孤独でもある」


それは自分の思っていることを全部理解してくれる人が一人もいない。

自分の言葉が通じる人がいないことと同じだという意味でした。

「孤独」という言葉の意味のすべてがそれではないが、

それでもそれを遥かに超越するほどに、

この仕事が好きでこの仕事は素晴らしいんだと言っていました。

そして、それをたくさんの人に伝えて、みんなで普通にこういう話をしたい。

だからずっと活動を続けてきたし、ずっと考えていた大学も開校したんだと。




朝の散歩に話は戻ります。

目的地に着くまで僕らはいろんな話をしていました。

その中で寝れなかった話をしている時に

またある記憶を思い出しました。

思い出したというより、ある夢を観たのです。

とても鮮明な、まるでそこに生きているかのような夢でした。


それは昨夜に思い出したあの記憶の続きでした。





僕は幼い。

小学生くらいの男の子。

でも自分の子供の頃とは姿は全然違う。

でもそれは僕です。

僕はとてもとても高い所にいました。

それがどこなのかはわかりません。

周りは暗くて、他に人がいる様子はない。

そしてその高い所から下を見ていました。

覗き込むように。

その下には真っ青な地球がありました。

そして僕はその地球を見ながら、ワクワクしながらこう思っていました。

「今からあそこに遊びに行くんだ」


そして僕はその高い場所から飛び降ります。

身体が光の筋のようになっていきます。

どんどん降りていきます。

そしてある光景が目に飛び込んでくる。


出産している女性がいます。

顔はよく分からない。

そして、僕はその女性のお腹にスーッと入ります。


僕はお腹の中にいます。

暗いです。

でもお腹の中の感覚はあまり覚えていません。

なぜなら、すぐに僕は狭いトンネルを回転しながら通り始めるからです。

その窮屈間や身体が回転している感覚は鮮明に残っています。

そして明るい世界に出ます。


でも何かが違う。

僕が見ている「明るい世界」は、ある小さな窓から見ているのです。

目です。

文章で表現するのは難しいですが、

僕は小さな身体の中にいます。

まだ身体と「僕」がひとつではないのです。

身体の内側から、小さな二つの窓を通して外の世界を覗いているという状態。

とにかく不思議で、何が起きているのかよく分かりません。

しばらく興味深く外を覗いていました。

人がいたのだけは覚えている。


そして次の瞬間、僕はおっぱいを口にしている。

今思えば、その時はすでに身体と「僕」はひとつになっていたと思います。

そして母乳を飲み始めてしばらくすると

強烈な睡魔が襲ってきます。

記憶がどんどん薄れていく感覚の中で眠りにつきます。


そして目が覚めた時。


今の僕になっていました。

川満由希夫になっていました。




これは記憶です。

すべて思い出しました。



「この制限の世界に遊びに来たんだ」



それを明確に明確にわかった瞬間でした。

そして同時にわかった明確なことは



「みんなもそうなんだ」




     

川満由希夫 vol.5  「ずっと前の記憶」 

ある記憶のお話をする前に、なぜ僕はあの日にあの体験をすることになったのか。

自分なりに検証してみました。


あの日のあの話の始まりは重いものでした。

今までに受けたことがないほどのプレッシャーだったような気がします。

それは前里にプレッシャーを与えられたという意味ではなく(それもあるが…)

心を見るということを強烈にした結果だと感じています。

それを強いプレッシャーのように感じていたのだと。

その過程で僕は、蓋を開け続けていったのだと思います。


そして実は最終段階、あの瞬間を迎える直前の僕は、

どこか投げやりになっていました。

「もうどうにでもなれ」という、どこか諦めにも似た感情でした。

疲れたのかもしれません。

心を隠すことにです。

強いプレッシャーがかかりすぎて、その反動で一気に扉が開いたのかもしれません。

前里がそこまで誘導したのは言うまでもないが、

でもやっぱり最後は自分でしかないということも今ならわかります。

前里がよく使う「気があるかないかだけ」ということだと思います。

自分のことを「嫌だ」と言った僕の中には、

本当に変わりたいという「気」がありました。

もちろん嫌だと思えばいいというわけではないです。

とにかく「気があるかないか」

これが大事だと思います。



でも実際は「よくわからない」というのが本音です。


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あの夜、僕は興奮していました。

自分の心の状態を確認するのに忙しかったです。

「ずっとその状態でいてくれるならそれだけで十分だ」

前里はそう言いました。

もちろん実際は違いますが、それくらい嬉しいと言ってくれました。

そして

「初めて自分以外でそれを知っている”人間”に会った」

と笑いながら言いました。


そして前里がこんな話をしました。

「この制限の世界に遊びに来たということが今ならわかるでしょ?」


その時です。


胸のあたりがぞわぞわ、もぞもぞするような

初めての違和感が一瞬だけ心を支配した後に、

ある記憶が蘇りました。





僕は幼い。

小学生くらいの男の子。

でも自分の子供の頃とは姿は全然違う。

でもそれは僕です。


それは今の僕がその子を「視ている」のではなく、

昨日行った場所を思い出すという感覚でその状況を思い出しました。


僕はとてもとても高い所にいました。

それがどこなのかはわかりません。

周りは暗くて、他に人がいる様子はない。

そしてその高い所から下を見ていました。

覗き込むように。

その下には真っ青な地球がありました。

そして僕はその地球を見ながら、

ワクワクしながらこう思っていました。




「今からあそこに遊びに行くんだ」





そうです。

生まれる前の記憶を思い出したのです。

びっくりしすぎて思わず大きな声で前里に伝えました。

前里は笑っています。

そして今度は、身体に違和感を感じ始める。


そして背中に寒気が走るような感覚と同時に

この身体が「器」であることを、体感として知ったのです。

非物質の自分が、この身体の中に居るんだと体感したのです。

意識と肉体が合致していないような感覚です。

僕は自分の体を触りながら、なんか気持ち悪いと前里に言いました。

そして前里は笑っていました。


そして僕は、最高の体験に胸を躍らせながら

そろそろ寝ることにしました。


「こんな夜に何もないわけないよね、Sanが来たりして 笑」


そう前里に言って僕は、寝室に向かいました。



そしてまた、ある記憶を思い出すのです。



     

川満由希夫 vol.4  「2回目のバースデー」 


もう日付は変わっていました。

そして後日、僕のお気に入りのノートの最後のページには

「10月19日、ゆきぃバースデー」と書かれることになります。

実際は4月です。



ある瞬間とは、こういう流れから訪れました。


今思えば前里は徐々に言葉を変えていたように思うが、

あの時の僕は、急に話が変わったという印象でした。


いつの間にかこういう話になっていました。


「俺はお前に仕事をしてほしいとは思っていない」


仕事の話から人生の話になり、仕事をするなと…

僕は当たり前に「意味が分からない」と言います。


本当に仕事をするという意味をお前は全然わかっていない。

時間をかけて一生懸命仕事をしてほしいとは思っていない。


そしてこう続けました。


家でゆっくりくつろいでいればいい。

自分の好きな空間を作って、そこでゆっくり音楽を聴いていればいい。

まずはそこから始めればいい。

それが仕事をしていることになるから。




この時点で僕の心はざわついていました。

「何を言っているのだろう…」

だけど心の中で何かが渦巻き始める。


それがどういう意味なのかまったく分からないまま、

僕の心の中で渦巻く物の正体だけは確認できました。

それは「下心」でした。


僕は何度も、本当にそれだけでいいのか

それで仕事していることになるなら楽じゃないか。

そんなことなら今すぐにでもできる。

本当に本当に…  

何度も確認しました。


前里は「それでいい」と言います。


僕は楽して仕事になるならなんてラッキーなんだと思っていました。

とにかく下心満載の状態でその話を納得していきました。


でも、少しずつ話を続けていく前里の言葉の一つ一つに

今度は下心以外のものが引っ張り出されてくる感覚がありました。

今思えば、その下心は最初の扉の鍵のようなものだったかもしれない。

もしくは固く錆びついている鍵を溶かす薬品のようなものというか…


とにかくそれをきっかけに僕は、衝撃的な体験することになりました。


まずは、さっきまであったはずの重い固い空気はまるで無くなっています。

心の中にあった粘り気の強い鉛のような感覚が無くなっています。


そして前里の言葉に反応し、それが加速的に拡大していきます。

前里 「これが幸せという状態だけどわかる?」

川満 「・・・」

前里 「この状態で何か心配事は?」

川満 「ない・・・」

前里 「自分が何でもできる存在だということがわかる?」

川満 「わかる・・・ でもちょっと待って、これって何?」

   「今まで1度も味わったことのない感覚過ぎてよくわからない」

前里 「これが当たり前なんだよ」

   「自分がどれだけ固かったか今ならわかるでしょ?」

川満 「はっきりわかる」
   
   「それも胸のあたりがごっそり無くなった感じがする」

   (この時僕はずっと胸の上の喉に近い場所を押さえています)

前里 「あったかいでしょ?」

川満 「熱いくらい。」

前里 「これが普通の状態。俺は常にその状態だよ。どう?幸せじゃない?」

川満 「信じられないくらい幸せ・・・」

前里 「今だったら何でもできるんじゃない?」

川満 「完全にできる。それも不安も何もない。ただただ楽しみというだけ。」

前里 「この状態がずっと言っている”価値満タン”という状態」

   「正確には”価値満タンを知っている状態”だよ。凄いでしょ?」

川満 「凄すぎてどう言ったらいいかわからない」

前里 「ずっとこれを伝えてたんだよ」

   「でも全然聞かないから"やっと伝わったか"って感じだよ」

   「俺がみんなにずっと伝えているのはこのこと」

   「この状態になってもらいたいから伝えている」

川満 「やっとわかった。初めて頭じゃなく心でわかった。」

前里 「どう?たくさんの人に伝えたくて伝えたくてしょうがなくならない?」

川満 「なる! でもこれってどうやって伝えれば・・・」

前里 「簡単ではないよ。でも俺はこれをとにかくみんなに伝えたい」

   「その強い思いさえあれば絶対に伝わるよ」



この時すでに深夜2時頃だったと思います。

前里は続けて、「これが仕事をしている状態だ」と言います。

doよりもbeとはこのことだと。

目先の何かを「する」のではなく、

価値満タンを知っている状態で「在る」ことのほうが大事。

なぜなら、その状態で在ればそれだけで人の為になるから。

溢れ出たものが人を幸せにするということはそういうこと。

ただそれだけで人の為になる、

そして人の為に生きている人は自然と応援される。

だから仕事もうまくいくし、

何もしなくても人が集まってきてくれる。

それは価値満タンの匂いがするから。

心がそれを知っているから、それに触れたくてみんな集まる。

そしてみんなに用意してもらったその場所で、

最高の物をみんなに届けることができる。

それをただ楽しみながら繰り返しているだけ。

だから仕事とは何かをすることではなく、

ゆったり豊かな時間を過ごしたり、素敵な空間に身を置いて

価値満タンを感じていることが仕事だと言ったんだよ。



それを聞きながら


「この世界はなんて素晴らしいのだろう!」


僕の体中にその思いが満ち溢れていました。


そしてそのすぐ後に、僕はある記憶を思い出しました。



     

川満由希夫 vol.3  「不幸に見える」 



その日のセッションは2件だけでしたので、

セッション終了後は食事をとったりなどして、ゆっくり時間を過ごしました。



そしてその翌日の夜に、僕はこれまでにない体験をすることになります。



テーブルに前里と向かい合って座り、

他愛もない話から仕事の話などをしていました。

そして、ある電話をきっかけに深く仕事の話に入っていきました。

それは学園での仕事の内容についてでした。

一真君、剛さんの動きや、その方向性。

教室の運営や、塾長としての僕の役割、仕事に対する姿勢、細かさなど。

内容の大半は代表取締役という前里の立場からの「僕への指導」というものでした。

当たり前ですがそこに軽い空気など一切存在しません。

冷静に淡々と仕事について話す前里の前で、

僕はさほど言葉を発することもできず、ただただ黙り込んでしまうような状態でした。


そして話はどんどん展開していきます。

僕、川満由希夫という人間の生き方、人生についての話に深まっていきました。

それは、多くの人が人生の大半の時間を使う仕事というものに

本当に本当に真摯に向き合っているか、ということが、

本当に本当に人生に向き合っているか、ということにつながるからです。


「今の人生はどうで、これからどういう人生にしていきたいのか」


この質問に僕は答えることができませんでした。

普段はそれを考えているつもりでした。

しかしそれは、本気というものを前に答えるにはあまりにも表面的でした。

というよりも、「本気でそれを考えたことがなかった」

という結果を目の当たりにしただけでした。


「人生に向き合うことが大切だ」ということについての僕の理解は、

とても表面的で、頭でその言葉を覚えているという程度のものでした。


でも実際はそれを知っていたと思います。

知っていながらこのくらいで大丈夫だと自分に言い聞かせ、

前里の言葉に込められるものと、自分の心が感じているものの違いを

見て見ぬふりをしていたのだと思います。

そしてそのうちその違いすら感じることもできなくなり、

自分で創る、表面的で居心地の良い殻の中に入り込んでしまったのだと思う。



「自分がどういう人生を歩みたいのか」

それが「わからない」という状況。

僕は愕然とし、悔しさと、情けなさの中でただただ沈黙を続けていました。

ただし、実際その時点での僕は

「たいして愕然としていなかった」ということを後から気づくことになります。



話は続きます。

その時はもう時間がどれくらい経っているのかもわかりませんでした。


それを答えることができない自分とはなんなのか。

本当にそれでいいのか。

前里からの質問を受け僕は、単純に「嫌だ」と答えました。


前里は続けます。

今の自分を嫌だと言ったことの重大さに気づいているのか。

その言葉は、これまで僕が出会った人すべてに対しての攻撃だと言いました。


そして、自分から見たお前は不幸に見えると言いました。


この強烈な言葉は、前里の本心であり、何よりも愛情でした。

僕がこのままで在ることを許さない。

それは、幼いころからずっと一緒に歩んできた親友に向ける愛情であり、

これまで僕が出会ってきた人達、これから出会うであろう人達に対する礼儀でした。


話し始めてからここまで、4時間は経っていたように思います。

人生の中で、これほど自分の心を見つめたことはないです。

決して心地の良いものではありませんでした。

それと同時に、自分が心を見るということから逃げ続けていたこと知りました。

しかし、自分の中に逃げているという感覚はありませんでした。

これは、先ほど書いた「見て見ぬふり」とはまた微妙に違う意味です。


そしてこの後、僕はある瞬間を迎えるのです。



     

川満由希夫 vol.2 「豊かさを待つ」 

セッション2人目。

この内容について実は東京にいる時すでにアップしてありますが、

それを「川満由希夫 vol.2」として再度アップします。




[report.1]



「経済力が上がりますけど大丈夫ですか?」


矛盾しているかのような質問ですが、

個人顧問プログラムの一コマです。

東京オフィスにて行われた東京個人顧問プログラム。



前里からのこの質問に「今すぐでも大丈夫です!」

と言った受講者の方はこのあと、

とてもとても重要な”事実”を知ることになります。




その”事実”をゆっくりお伝えしていきます。





※この記事は今回の受講者の方を例に書き始めていますが、

ここから先は「多くの方」がそうであることについて書くことをお伝えしておきます。








たとえば状況として「そう答えるのが普通」だと思います。

「大丈夫ではない」と答えるのはおかしい。

「大丈夫ではない」は「経済力を上げたくない」と言っているようなもの。

だからその逆を答える。それは当たり前だし誰でもそう答えるだろう。

人として一般的な流れを配慮して作っているようなものだ。

それもさらに覚悟を伝えるために

「今すぐ」という強めの言葉を付け加える。


完璧だ。






しかし、事実はそうではない。






この「今すぐ」という言葉。

この言葉の中に何が見えますか?


とてもシンプル。

「大丈夫ではない」という心です。



なぜか。



これもまたシンプル。

「今すぐ経済力が上がることはないと知りながら言っている」

からです。





心というものは緻密です。

自分の心でありながらうまくコントロールできない。

実際は違うが、感覚としてはそう言っても過言ではない





たとえばこう思う方もいるだろう。





言っていることはわかる。

でも先にも書いてある通り、「人として当たり前の流れ」

を行っただけで、実際はもちろん今すぐは無理だと知っていて、

ある意味では冷静にそう答えているだけだ。

わかっている。

そしてむしろ先に決定して強烈にそこに向かう意思があるのだから、

良い答えだ。

だからそんな一つの言葉から「大丈夫ではない」

という決定をするのは大げさではないか。

本人は「わかっていて」言っているのだから。








でもそれでも事実とは違ってくる。

どんな理由があろうと、その流れの中で経済力が上がることはない。

実は心の芯から「大丈夫」を確信している人は

このような答えを返してこないという事実があるからだ。





ここで答え方の正解、不正解を問うつもりはないです。

でも「大丈夫を確信している人」がどんな答え方をするのか。

興味があると思います。




それについては次の記事で。



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[report.2]


「大丈夫を確信している人」について

これは価値満タンという言葉につながってくる

まずはそういう人がどう答えるのか。

それを先にお伝えします。



「今じゃなくてもいい」



こう答えます。

この言葉に込められる意味や思い、その人の状態をお伝えします。



今じゃなくてもいいと言えるこの人は

豊かさが必ず来ることを知っています。

確信している。

焦る必要もなく、急ぐ必要もない。

自分はそれを手にすることができるほど価値が満 タンだと確信している。

「価値満タン」という「余裕」がある。

その余裕こそが豊かさである。



たとえば極端に「今すぐなんとかしたい!」

と答える人がいるとしたらどうだろう。

一見、強い意志のようなものが垣間見えるが、

それを聞いた多くの方は「厳しいかもしれない…」

と思うのではないだろうか。

先ほどと真逆のことを書くだけになるが、

焦りや余裕のなさは、自分が「価値満タンではない」

という心から発生するもの。



そして少しニュ アンスの違う

「今すぐでも大丈夫」という言葉には何が込められているか。

同じです。

多少の表現の違いがあっても、

その中に秘められているものは同じだ。


「今すぐでも大丈夫」と「今じゃなくても大丈夫」

はとても似ているようで全く違うもの。

先ほどからお伝えしている「余裕」がある状態の人は

必ず後者を選ぶ。


ここが大事なポイントになるが、

心は1ミリもずらさないということだ。

心に1ミリでも焦りがある状態。

逆に言うと、価値満タンに1ミリだけでも隙間があるような状態が

前者を選んでしまう。

とにかく的確だ。


そのくらいは… となりそうだが違う。

これはとても大事なことなのでしっかりお伝えしたい。


「心は1ミリもずらさない」


話を戻すと

心で自分は価値満タンではないと思っている。

だから余裕がない。

そしてそれを言葉にして表現する。

表現とは行動と同じ。



行動として、言葉として「自分は豊かさを持てない」

と表現している以上、それが手の中に入ることはない。

なぜならその現実のすべてを自分の心が創っているから。



この事実についていろんな考えを持つ人がいるだろう。

でも話はこれだけでは終わらなかった。



次は「プロセス」




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[report.3]


「今じゃなくてもいい」と答える人は

価値満タンという余裕がある。

豊かさが必ず手に入ると確信している。

そして実際に手にすることができます。



でもここで面白いことが起きます。

それは、結局それが一番早い方法なのです。

「今じゃない」ことが一番早く豊かさを手にする方法です。


たとえば具体的に「5年後くらいでいい」

と考えている人は、

1年以内に予想を超える豊かさを手にする可能性があるということです。

これはそれほど大げさな表現ではない。



そしてここで最大のポイントが登場します。

まずは一つ目。


それは「プロセス」


先ほどからお伝えしているように

豊かさは手に入ります。

しかし、それには少しだけテクニックが必要になる。

どんなテクニックか。

それは「プロセスを楽しむ」ということです。

豊かさを手にするまでの途中経過をいかに楽しめるか。

これが最大のポイント①


どうせ手に入る豊かさを

「いつだろう、いつだろう」と待ち焦がれるのではなく

どうせ手に入ることを知っているのだから

それまでのプロセスをどう楽しめるかの方が重要。

今を楽しむ

「未来ではなく、今に生きる」

今に生きる=価値満タン



というより、待ち焦がれるということは

余裕がない状態なので、豊かさを手にするのは難しいということになります。

確信しながら今を、プロセスを楽しめる状態こそが豊かさなのです。

でも実はその状態になると豊かさに対する興味が薄れます。

それは当たり前だから。その中にいるから。

当たり前に常に常に自分の周りに、自分の中に満ち溢れているから、

「豊かになりたい」とは思わないのです。


最大ポイントは全部で3つ。


2つ目は次にお伝えします。



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[report.4]




たとえばこんな話を聞いたことはないですか?



「○○を続けていれば幸せになる」

「○○を変えたら人生が変わった」

だから真似してやってみた。

でも… まぁ前よりは良くなった気がする…



もしかしたら経験がある方もいるかもしれません。

身近な知り合いがそうだったとか。

実は僕自身も経験があります。

だけど正直手応えはなかった。


でも、その「○○をやったら…」という情報の○○の部分は真実でもあります。

もちろんそうじゃない場合もあります。

それにもかかわらず「手応えがなかった…」



それがなぜだかわかりますか?





最大ポイント②は「下心」





この「東京 個人顧問report」でお伝えしている内容。

これはある意味では豊かさを手に入れる方法です。


しかし、仮にこれまでお伝えした流れを完璧にこなしたとしても

豊かさを手に入れるのは難しい。


「今じゃなくていい」と言い。

豊かさを待ち焦がれず。

プロセスを全力で楽しむ。

全力で今に生きる。


これが完璧にできても難しいのです。




「○○すれば幸せになれる」

「○○すれば豊かさが手に入る」

「○○すれば…」


そこにあるのは「下心」のみ。


”○○で幸せになるのならやる”

という下心が、どこか無責任な依存心が、

すべてをゼロに戻します。


心当たりがある方がいるとしたら

それは目を背けずに直視することをおススメします。


とにかく「豊かになるために」という心の状態では難しい。

極端に言えば、「豊かさ」に目を向けないままそれをやる。

それがいい。




そして最大ポイント③は…


問いを投げかけて次へ持ち越します。





ここまでの「東京 個人顧問report」を読んで

あなたはどんな感情が上がってきましたか?



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[report.5]


ここまでの「東京 個人顧問report」を読んで

あなたはどんな感情が上がってきましたか?




「ワクワクした」




僕はこの話を聞いた時こう答えました。

そして、最大に重要な質問に出したこの答えは


間違いでした。


この答えの中には異なる種類の間違いがあります。

まずは、なぜワクワクしたのかを考えればすぐにわかります。

このワクワクの出どころは

「豊かさが手に入る喜び」です。

結局は「待ち焦がれている状態」と何も変わらない。

「下心」があり、「早く欲しい」と思っている。

それでは難しいということはこれまでの中でお伝えしてきました。


そして次。

僕は一瞬「間違いではない」と思いました。

それはこういう思いからです。

「それができる自分にワクワクした」

「自分の創造性にワクワクした」

これはこのreportの中で伝えてきた「間違い」とは異なるし、

創造性を知ってワクワクするのはごく自然の感情。

創造性を知ること自体が豊かさであるなら、

むしろ良かったのではないか。


でもそれも違いました。

しかし、ここで違うというのは

「自分の創造性にワクワクしてはいけない」

という意味ではなく

あくまでもこの質問の答えとして違うということです。



そして一番わかりやすい、一番大きな「間違い」

それは、この答えが「超個人的」であること。


私達は全体性の中で生きている。

そして、東京、日本、アジア…  地球という集合意識の中で。

自分という「個」のみに突出した考え方や

自分の為だけにという心の状態は

はっきりお伝えすると「不都合」でしかありません。

なぜならこの世界のルール上、

「なによりも豊かさを持てない考え方」だからです。

自分の為に、自分の利益の為にという考えが強い人は、

豊かさを持ち、力を持つことを集合意識が許さないのです。

それは、その「超個人的」な人が力を持つと

それを利用して誰かを傷つける可能性があると判断されるから。

とにかく集合意識の応援をもらえません。



僕は、この答えの中にあるものすべてが「超個人的」と言っているわけではありません。

こう答える人も、もちろん現実社会では自分以外の誰かの為に頑張っているはず。


しかし、心の状態という緻密な観点からみると

1ミリでも超個人的要素が入っているとずれます。

それをこのreportの中では「間違い」と表現しています。


それでは僕はどう答えればよかったのか。





「誰かに伝えたい」



このシンプルな答えが、正解不正解で言えば正解であり、

最大ポイント③です。




この答えの中に自分はいない。

瞬間に自動的に「誰かの為」にという思考が始まっている。

その誰かを探し始めている。


誰かに喜んでもらいたい

幸せになってもらいたい

その笑顔が見たい。喜びが見たい

それを見ることが自分の幸せ。


とにかく「他」を大事にしている。


そしてこう答える人の心の状態は

不純物がないという表現があてはまる。


そう考えることが結局は自分の為になるという下心もない。

たとえば、これは偽善だ、きれいごとだと批判されても、

その人には届かない。

仮に届いても1ミリも響かない。感情がぶれない。

一番強いと言える。



そしてこの答えを持っている人をこう表現します。


”100%の創造性”

”価値満タン”


それを


「本当に知っている人」



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この内容はセッション終了後、数日経ってからアップしていますが、

これを書いている時の自分と、今の自分とでは認識がだいぶ違うと感じています。

「川満由希夫 vol.3」からの内容と比較しながら読んでいただくと面白いかもしれません