幸せを届けるレストラン 

現状確認はできていますでしょうか?


○○になりたい!と思う心には、
○○ではない!と前提がありますね。

それを頑固さともいうし、観念ともいうし、我ともいうし…
表現力豊かな「日本語」の魅力はありますが、
逆にそれが真実をわからなくさせているのかもしれません。


そう行ったら日本語に失礼かもしれませんが(^-^)




○○になりたい!

○○=幸せ

とした場合。



多く人間の心の中にそれがほぼ確実にあるとした場合。

そう思う多くの私たちは全員不幸だとういうことになります。





ホントそう?





僕は、歩けます。

21歳の時に事故にあいました。
左足の骨折でした。


緊急手術は無事に終わりましたが、
寝たきりの生活が始まりました。


21歳の若者は、苦痛過ぎてどうにかなりそうでした。


昨日まで当然のようにアルバイトに行き、
友達に会って遊んでいた日常が、
愛おしくて愛おしくて泣きましたね。


その時のことを考えると、
今、自由という幸せの中に僕は今います!



「今に感謝しよう!」

という大げさな話ではないんです。

「今で十分幸せなんだから贅沢なんだ!」

という偉そうな話じゃないんですよ。


むしろそんな感謝はどこか嘘っぽいじゃないですか。
僕はそう思います。




だけど、自分の意思で歩いて、
自分の意思で行きたいところに行けるって、
あの時の僕からしたら奇跡です。

幸せです。




なにを伝えたいの?



「現状確認が大切です!」


ということです。





やりたいことを、
やりたい時に、
やりたい人と、
やりたい場所で、
やりたいように
やっている状態。




幸せの定義だと思っています。
この定義をじっくり確認したうえで、
現状確認をしてください。


私たちは昨日、何をしていたでしょう。



おそらく9割以上の行動は、
自分の意思で「やりたいようにやった」

のではないでしょうか?


誰かに強制的に食事を口の中に詰め込まれてはいない。
強制的に道端で寝かされたわけでもない。


食べたいものを自分で選んで、
食べたい場所で食べたい人と食べた。
多少の誤差はあったとしてもほぼ完ぺきにそうしたはずです。


寝たい場所で寝たと思います。



「やりたくない仕事を嫌な上司の指示でやらされた!」

という人がいたとしても、
そのやりたくない仕事を自分で選び、
自分の意思で出勤したのです。

へりくつのように聞こえるかもしれませんが、
実際にそうです。


本当に嫌なら、理性は吹っ飛びますから
「やらない」という選択を人はとります。

逆を見ればわかります。

本当にやりたくないことは一切やっていない、
近寄りもしない。




昨日という日に、
ほぼやりたいことをやって過ごした私たちは、
定義上は「幸せ」なのではないでしょうか。



だけど…


「ありのままを受け入れるしかないんですね…」
(+_+)

と言われそうですが、ちがうんですよ♪




これを伝えたい↓



レストランに行きました。

コース料理を注文。


前菜が運ばれてきたが、あなたは一切手をつけない。
見向きもしない。

お店の方も不思議です。
次の料理が出せない。

「食べてください」

と促されても見向きもしない。



???


「変なお客さんだな」


まぁ食べないなら、
次の料理を出しても仕方ないからお帰りいただこう。







これが人の人生でよく起きています。

目の前にある美味しい料理を味わい尽くさない。
目の前にあることすら認識していない??

それじゃあいつまでたっても、
次のもっと美味しいメイン料理はこない。





私たちは、本当にど不幸なのでしょうか?



「幸せになりたい!=幸せではない!」わけです。



本当に幸せじゃないのでしょうか?




目の前の幸せを、
どれだけ味わっていますか?

食べてもないのに、
次の料理を持ち望んでいるのではないでしょうか?



現状確認ができていないだけかもしれませんよ。



「100%」には矛盾があります。

そればかりを望んでいるということは、
そうじゃ無いくてもいいということです。



完璧じゃないから面白い!
と言って生まれてきて、

「完璧じゃないから不幸だ!」


と言っているのかもしれません。




宇宙が幸せを届けるレストランなのであれば、

思いっきり目の前にある幸せという料理を、
味わって喜んで食べている人に、
次のメイン料理を運んでくる
のではないでしょうか。



ある人が昔から口癖のように言っていました。


朝、起きた瞬間に、
自分が奇跡的な幸せの中にいることを確認して。


「ヤバイっ幸せすぎて今日何しよう!」


と思うそうです。




私たちの現実は心が創ります。




「ヤバイっ幸せすぎる!」
という心は


ヤバイくらい幸せな現実しか創りません。




朝一で、

「ヤバイっ幸せすぎて今日何しよう!」

と思うのは難しいでしょうか。


意外と簡単だと思いますよ。



そう思うことから始めるのは、
非現実的ではないと思います。


だって、心が先ですからね。
後からできたものを見て判断して決めつける方が非現実的。



僕の周りには、僕の心の中がそのまんま映っています。
自分が何を創っているのかは、自分がよ~く知っています。

「心を深く見てみよう!」

なんてする前に、まずは


「現状確認してみよう!」

ですね。

そこにしか真実はないわけですからね。


それを難しいと思うなら、他力を使う。


「自分の心を深く見るのは他人に任せよう!」

で十分です。






話を戻しますね!


とにかく、まずは目の前に広がる9割以上の幸せを
誰よりも誰より味わってみてください。


そしたら次の料理が運ばれてきます。



どんな料理でしょうね。


楽しみですね♪







美輪
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