明子ファイル⑧研究の方法論 

 

「汝自身を知れ」


この有名なギリシャ語の文言は
スピリチュアルを学ぶ途上で
避けては通れない言葉の1つです。


「自分はいったい何者であるのか?」


「自分はいったい誰なのか??」



「自分」
という存在を説明するときに
国別 性別 年齢別 職業別に説明することもあるし
趣味や容姿や病歴といったものから説明する場合もあります。



その一方で
視点を3次元限定から解き放つと

一挙に「今世」の自分から「過去世」「未来世」の「自分」まで
様々なバージョンの自分が広がって見えてきます。



今という瞬間に解き放たれる多次元的世界・・・・・!!



こうして多次元的存在として
「自分」の広がり具合を感じることができて

初めて私たちは「汝自身を知れ」という
この言葉の深遠な意味に触れはじめます。




その答えを明確に知らない自分。



だから知りたいと思う自分。





でも「知る」ことは「知らない」ことと表裏一体。


人間の限られた脳で
物事の根源を知り尽くすことはできません。




自分を完全に「知る」ことは
不可能かもしれないけれど
何かヒントぐらいはつかめるはず・・・・・


私自身は「自分を変えたい」「自分の人生をなんとかしたい」
という強い気持ちがもともとあって「特別研究生」に申込んだわけですが

自分をより深く知りたい
人間という不思議な存在を何とか解明したいという知的好奇心が
そこに全くなかったといったらウソになるでしょう。





そうやってめでたく研究生活が始まったわけですが
「特別研究生」として大学の講義内容を深めたり
自分独自の研究を進めるときには

色々な角度から「自分の内面を見つめる」ことが
研究の「方法論」となります。




実は、この方法論はかなり特殊です。




多くの学問はそれが自然科学であれ
人文科学であれ社会科学であれ

自分が観察者となり
「観察対象」は自分の「外側」にある存在です。


観察対象は、自分と距離のある別の存在なので
(正確に言えば、そのように思えるので)

自分の感情と切り離して冷静に観察したり
分析しやすいわけです。



ところが「自分自身を観察する」となると
これはもう「甘え」だとか「保身」だとか
「うそ」だとか「恐れ」だとか

色々な障害物が出たり入ったりし始めて
「冷静さ」はふっとんで一挙に混乱の世界へ・・・・・笑



そういった妨害は「見えない敵」のようなものなので
自分ではきちんと内面を見つめているつもりでも上手くいかない。


しかも上手くいかない理由も全然わからない。


自分自身を観察し熟知するということは
難度F級のハイレベルな課題。





もちろん途中までは自分の力で
自己認識を深めることもできると思います。


でも人間には「盲点」「癖」があって
ありのままの自分を見つめるのは至難の業。



スピリチュアル研究が一筋縄ではいかないのは
「生身の自分そのものを研究対象とする」ところから始まるからなのです。



でもだからこそ「誰でもできる!」
「やりがいもある!」というもの。



しかもこの世界が「ひとつ」だからこそ
こういう研究方法が成り立つんです。


そう思うと難しさは脇に置いといて
まずは、とても楽しい気分になることができます。



なぜなら・・・・・


スピリチュアル研究は
人間が人間であるための理由その可能性を
明確に打ち出すことのできる「希望に満ちた学問」であり


「特殊な方法論」を通して
スピリチュアルな存在としての自分自身を
進化する生物として見つめ続け
「未来を拓く学問」だからです!




「特別研究会」では
「盲点」や現象の「裏側」で起こっている諸事情を
ミツさんが解き明かしてくださいます。


そういう精密な情報や稀な観察眼に触れることで
私たちは「より精密な自己考察」へと導かれます。


自分で自分の真の姿を知ることは本当に難しい。


たとえそれがわかったとしても
今の自分を変化させるのはさらに難しい。



だからこ「冷静さ」を身につけようとする
真摯な態度の「特別研究生」がいて


だからこそ世界一楽しくて、でも特殊な厳しさのある
「特別研究会」の存在意義はとても大きいのだと思います。




                        To Be Continued …


岩田明子


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