「前里光秀大学 別科」で見た光景② 

この方が言う、「できていない」の言葉の中には
「できている」を含んでいる意味があります。

話を聞いていても分かりましたが、
「できない」というのは「できる」部分との交錯があって起こることで
むしろ観念としては「できる」に比重が置かれた状態です。

確信がある「できる」「よし」「これは大丈夫だ」には
焦点を合わせないのはごく自然なことなので、
言葉としては「できない」が出てきたんですね。


逆に、「できる」と言う場合には
「できない」ことが多いでしょう。


前里は、この方の話を聞いて本当に嬉しそうにしていました。






では、この別科の中での話をひとつ。






この方は元々、とてもパワフルさがある方で、
それは「気の短さ」にもつながっていました。

この「短い」「長い」について詳しくは次に述べますが、
単純に、「短い」ことはいいことではありません。

「気が短い」には、すぐに証明をしたい性質があり、
例えばそれは「バカにされたくない」という劣等感から
きていることが多いです。


実はこれが、この世界のルールからすると
非常に問題になってきます。

「気の長さ」は、大事。



この世界はすべてが「ひとつ」なので、
ある成功のかたちを表現するためには
周囲の方々の協力なしに達成することはありません。

これを読んでいる方のほとんどは知っていると思いますが、
ルールとして「与えたものが返ってくる」ので、
「ありがとう」と言えば「ありがとう」で
「ごめんなさい」と言えば「ごめんなさい」、
そして「応援する」とすれば「応援される」

つまり、自分の表現が受け取る表現になりますよね。





ここで例としてある2人の友人同士の関係を見ながら
「気の長さ」がどれだけルールに則っているのか、
見てみたいと思います。





その2人は経済力でいうと、
AさんはBさんより大きくてAさんはBより年上です。

つまり、AさんはBさんより
一般的には「上」として扱われる人です。

そしてAさんはBさんをかわいがり、
BさんはAさんを慕っています。



ここからが、ルール。



「上」であるAさんとBさんの付き合いの中で、
AさんがBさんよりも「上」であることを強調した場合、
実はAさんはBさんにいつか「抜かれる」という体験をします。

「抜かれる」ということは、
この場合で言えば、経済力です。

Aさんは別に人を押さえつけるような人ではなくても、
本当に細かい部分で深層意識に「上である」という思いがあるなら
それは振る舞いや言動に必ず表れてくるのです。

(これについては、細かすぎて書けません。
 興味がありましたら、お会いした場面で聞いてください)


でもここで、唯一BさんがAさんを「抜く」ための
条件があります。



それが、「気が長い」ということ。



Aさんは気がつかないかもしれませんが、
Bさんがとてもとても「気が長い」人で、
下に見られようがバカにされようが待つ人だったとしたら。

それを知っていながら
待ちながら、「上」であるAさんと仲良くする。


何を待っているのでしょう、Bさん。


実は、「気が長い」Bさんは
Aさんと「下」の「下」の水面下から付き合い始め、
「上」であるAさんのいいところを学びながら
地上にじっくり、じわじわ上がってくるのです。

そしていつかは学びを与えてくれた
Aさんと同じくらいの経済力をもつようになることを待ちます。



そのときにそれに気づいた瞬間、
Aさんは「ある体験」をすることになります。











前里光秀研究所 和田一真