「東京オフィス」 神楽坂探訪 

「(株)前里光秀研究所 東京オフィス」




この東京オフィスを構える東京新宿は神楽坂。

一体どんな町なのでしょうか?





ちょっと一緒に見てみたいと思います














「神楽坂」の由来は
江戸時代、神社に奉納する御神楽が聞こえる坂
だったからだといわれています。

明治後期・大正時代には
「山手銀座」と呼ばれたように
縁日の夜店がはやり、また同時に芸者の町として発展し、
尾崎紅葉や夏目漱石、与謝野晶子など多くの文豪たちからも
愛された町です。





前里光秀研究所
神楽坂通り (昔)


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神楽坂通り (今)



神楽坂のメインストリート
「神楽坂通り」には
老舗の漆器、陶器、履物、足袋から
文豪たちが通った文具店、飲食店などが
今もなお残されています。







また、神楽坂通りを中心に
縦横に数多くの「横丁」があり
石畳で昔の面影を残しながら、
料亭やおしゃれなお店が並んでいます。

名前の通り、「坂」もたくさんありますよ。



地蔵坂
地蔵坂
夏目漱石は『吾輩は猫である』に、
地蔵坂の別名「藁店」の地名を登場させています。


兵庫横丁
兵庫横丁
神楽坂界隈の最も古い道で、鎌倉時代からありました。


本多横丁
本多横丁
江戸時代の大名・本多家の屋敷があったことから名づけられ
石高は10500石。明治の初期までありました。


かくれんぼ横丁
かくれんぼ横丁
純和風の高級料亭などが軒を連ねます。
芸者の町の雰囲気を今も残していています。


みちくさ横丁
みちくさ横丁
ここに行ってもミツさんはいません。


芸者新道
芸者新道
昭和初期の最盛期には、料亭が約150軒ありました。


庚嶺坂
庚嶺坂
神楽坂周辺最大級の長さを誇ります。 長い!


小栗通り
小栗通り
神楽坂には、たぬきまでいます。


神楽小路
神楽小路
最後に、飲食店が所狭しと密集している神楽小路。



まだまだ横丁・通り・坂はありますが
興味のある方は探してください









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善国寺



町のランドマークとも言えるのが
毘沙門天の善国寺とその周辺の寺院風情。

毘沙門天とは、またの名を多聞天と言い
その語源はサンスクリット語で「全てを聞く」
という意味があります。

文字通り、参詣者の願い事を聞くということで
戦国時代には、戦勝祈願の神として
特に武士階級の人々の信仰を集めました。

また、仏教四天王の1人かつ七福神の1人で
古来よりインドで信仰されてきた「財宝の神」
でもあります。





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光照寺



また、戦国時代にこの地を治めていた
牛込氏の城跡がある光照寺。

牛込氏は、北条氏の家臣となった後
徳川家康に従ったため、もとあった神田から
現在の場所に移転されてきました。
















どうでしたか?

歩けば歩くほど発見がある神楽坂。

歴史の風情が織りなす粋で荘厳な佇まいは
東京都新宿区の中にあって、
ひときわ異彩を放っています。





趣ある石畳の小路は当時の様子そのまま、
タイムスリップして迷い込んでしまいそう。

素敵ですね。






前里光秀研究所は、
この神楽坂から新しくスタートします。

町でお会いしたときは、
ぜひ声をかけてくださいね。













前里光秀研究所 和田一真
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