川満由希夫 vol.11  「24時間以内」 




初めて「本当に伝える」を体験したその日の夜、

友達に会いました。

前里と三人で居酒屋に行き、楽しい時間を過ごしました。

そして僕はその友達にも自分の変化を伝えようと決めていました。


そして場所を変え、静かに話せる環境になりました。

僕は夕方と同じように、ありのままを話し始めました。

ワクワクしながら、また夕方のセッションと同じように

今度は、友達が喜んでくれるだろうと想像しながら。

その時はさすがに込み上げる涙はありませんでしたが。


そして、ここぞとばかりに話し始めた僕は、

すぐに違和感を感じました。

言葉はどんどん出る、話している内容も変わらない。

ただひとつ。

その友達の目が輝いていないのです。

伝わっていない気がして心が落ち着きません。

気づくと言葉数が多くなり、

なんとか伝えようと必死になり始めていました。

セッションの時とは全然違う。

しかし、僕はそのまま話し切りました。

友達は「凄いね!」と言ってくれましたが、

僕はどうもスッキリしないまま、

そこまで深く考える事もなく話は終わりました。


そして、それが難しさの始まりだったことを

僕は後から知ることになるのです。


翌日からの僕は、何も言わずにあるものを抱えていました。

「不安」です。

それは自分の中にある「下心」に対するものでした。

何か良からぬ芽が出てきていることに気づき始めていました。

早くもです。

あの瞬間から24時間も経っていないのに。

実際はあの瞬間があったからこそ、

その小さな芽に気づいたのかもしれません。

詳しく説明します。


それは仕事の話に戻ります。

「豊かな時間を過ごすことが仕事だ」

という言葉にとらわれていた僕は、

もう努力は要らないんだ、これでもう大丈夫だ。

と無理やり自分に言い聞かせていたのです。

そうではないことを知りながら。

そうであればよいと願いながら。


実際に豊かな状態で在れば

「努力」という言葉があてはまらないのは事実です。

それは何をしても「努力」 とは感じないという意味で。


だからもうこの時点で矛盾していたのです。

努力という言葉が頭にある時点で、

もっと言えば「不安」がある時点で、

もうあの瞬間から遠ざかっていたのです。

元に戻ろうとしていたということです。

そして僕はそれを抱えたまま、

時間が経てばなくなるだろう。

明日になればなくなるだろう。

そう思いながらそれを拡大し続けていました。

前里に話すこともなく。


話さなかったのにはこういう理由がありました。

話すとそれを認めてしまったことになる。

また元に戻ってしまう。

それが怖かったのです。

そして、そんな自分を前里に知られたくないという、

わけのわからない防御本能のようなものがありました。

その中には「がっかりさせてしまう」

という思いもありました。


そしてもう1つ。

思考の中でそれを外すことが半端にできてしまうのです。

あの状態に戻ることが自分でできてしまうのです。

だから大丈夫だと思いました。

自分でなんとかなると。

しかし、それも勘違いだったと今は思います。

とにかくその状態で2日間過ごしました。


実はあの瞬間の直後から前里に言われていました。

慎重に過ごしてくれと。

気を抜くなと。


結果、僕は気を抜いたんですね。


そして3日目。

それを目の当たりにすることとなりました。



     

川満由希夫 vol.10  「心で見る世界」 




セッションも終わり、これまでにない充実感の中にいました。

前里には、これまでで一番よかった。

本当に人の為に話した瞬間だったと言われました。

それも素直に嬉しかった。

そして、僕は少し興奮気味でもありました。

それは、伝えるということの素晴らしさからきているものと、

もうひとつ、「素の状態」でも大丈夫だった。

という新鮮な感覚からきているのものでした。

以前のようではなく、特に何も考えずに話し、

ありのままを伝えただけでこんなに伝わるものなんだと。

それでいいのなら、なんて簡単なんだろう、

という思いが心の中に芽生えていました。



その日は友達と会うことになりました。

僕ら2人の同級生です。

前里と僕がそうであるのと同じく、

幼稚園から一緒の同級生です。

そして最近よく行っているという居酒屋さんに向かいました。

その途中で前里が面白い話をしてくれました。



これからいろんなことが変わってくるはずだよ。

前里が言いました。

その中のひとつとして

「この世界がとても綺麗に見え始める」

とのこと。

なんだか不思議な話でとても興味深く聞きました。


価値満タンや、この世界に遊びに来ている。

という本質を本当に知ると、

この世界を自分が創っているということがよく分かり始める。

するとこの世界の見え方に「透明感」が入ってくる。

重みがなくなり、少し白みがかった半透明のように見える。

キラキラして見える。

とにかく軽く見えるようになる。



知るとそんな不思議体験もできるんだと、

僕はワクワクして聞いていました。

でもその時はよく分かりませんでした。



ここからは急に時間軸が変わり最近の話になります。

先々週の土曜日です。

僕はテスト対策で一真君と教室にいました。

交代で昼食をとるために外へ出て

普段ならバイクで移動するのですが、

良い天気だったので歩くことにしました。

とても心地よくて、ボーっとしながら歩いていました。

空を見上げたり、木々を眺めたり。

豊かな時間だなぁなどと思いながら歩いている時、


それに気づく瞬間がきました。


なんだか今日は眩しいな、と思ってはいたのです。

白が映えるというか、発光しているように見えるのです。

空もよくよく見てみると、やたらと青くて雲がくっきり浮き上がっている。

空と、木々や建物とのコントラストに、

なんとも表現しきれないくっきり感があります。

全体的に靄がかかっているような白い感覚で、

初めは目をこすったりしました。

おもちゃまでとはいかないが、

建物が薄い軽い素材で作られているように思えたのです。


そして前里が言っていたのはこのことか!


と気づいたのです。

とても新鮮な、とても面白い感覚です。


そしてその時思い出したことがあります。

実は約2年前にも同じ体験をしています。


雨上がりにバイクで走っていた時。

周りの景色に違和感を感じて、

ゆっくり走らせながらじっくり眺めたことがあるのです。

そしてバイクを止めて周りをしばらく眺めていました。

その時僕は、本当に言葉としてこう頭の中でつぶやきました。


「この世界って綺麗だな」


今はその理由がわかりますが、

あの時はさほど何も考えずにバイクを走らせ

その後はなんとなく忘れていました。

おそらく、ワークショップなどで聞いた情報が、

僕の意識をそこに近づけていたのでしょう。

あの頃はそのまま忘れてしまう程度のことでしたが、

何事も知ることで価値が出てくるものです。

そしてこれにまつわる体験をもうひとつ。

また時間軸が変わります。


先月、東京オフィスでのこと。

朝起きて僕はすぐにトイレに入りました。

そしてなんとなくトイレの壁を見た時、

壁の左側が歪んだのです。

壁が波打つように揺れていて、ぐにゃぐにゃに見えました。

空間に穴が開いているという表現が的確です。

ある一部分だけでしたが、はっきりそう見えました。

なんか変だなと思い、目をこすってもう一度見たら

普通の壁でした。

寝起きだからちょっと変な風に見えたんだな、

という程度に終わらせていました。


しかし、翌日の大学講義の中で、

前里がみなさんに話した内容に、

思わず声を上げてしまいました。


それは、心を感じるというセッションをした後のこと、

しばらく目を閉じていたみなさんに、

外を見るようにと前里が言いました。

建物がどう見えるのか。

それは、先ほど書いたように、本質を知れば知るほど

この世界が柔らかく見えるという体験をみなさんにしてもらう為でした。

みなさんのいろんな感じ方があり、とても面白いセッションでした。


そしてそのとき前里が

「これをどんどん知っていくと、空間が歪んで見えたりしますよ」

と言いました。


まさに自分がした体験はこれだったんだと瞬間でわかり

思わず声を上げてしまったのです。


そしてあとで前里にこの話をしました。


そしたら前里が

そういう風に見ようと意図すれば、

いつでもそう見える。

この壁だって透き通って見えるよ。

「目ではなく心で見るんだけどね」

そう言いました。

     

川満由希夫 vol.9  「本当に伝える」 




前里が受講者の方にこう言いました。

「豊かさ」を昨日初めて知った人がこの人です。


もちろん僕です。


実際にそれを知った直後のその人から話を聞くのが一番分かりやすい。

そのエネルギーも伝わりやすい。

そう言って前里は僕と席を交代しました。


これまでにない緊張感が自分の中にあります。

だけど、心地良い方が優先していました。


そして、キラキラ目を輝かせている受講者の方を前に、

昨夜の流れを少しずつ話し始めました。


昨夜、前里と何を話したのか、

そしてどういう流れでその瞬間を迎えたのか。

どれくらいの時間が経ったのかはあまり覚えていません。

そして実は、話の始まりの時点で、

「今日、僕は泣きます」

と宣言していた通り、

価値満タンを知って自分がどう思ったか、

それを伝えようとした瞬間にもうとまりませんでした。


「本当に本当に心から幸せだと思った」


この言葉をまともに言うことができませんでした。

受講者の方も泣いています。

僕も泣いています。

前里は笑っている。

もう何がなんだか分からないが、

とにかく伝えることは、

こんなに感動することなんだと思いました。


その後の流れ、その日に前里と話したこと、

すべて話しました。

その方はずっと泣いていました。

僕の涙がとまってもずっと泣いていました。

泣いてくれて嬉しいというわけではなく、

伝わった結果だとわかるから嬉しかったのです。


実は、伝えることの本当の意味を、

僕は事前に前里から聞いていました。


「今日、お前は初めての体験をすることになる」


そう言われていました。

それは、今までの僕がいかに固く、

自分の為に仕事をしていたのか、

自分を魅せる為に伝えていたのかということが分かる。

という意味でした。

実際、僕は人に話す時、人前で話す時は、

その内容や伝え方をフル回転で頭の中で組み立て、

間違えないように、綺麗に話せるように、

「知っている人かのように」

ということをしていたと思います。

そこに目の前の誰かを思う気持ちなど、

今思えばなかったに等しい。

それくらい「自分」を意識した状態で過ごしていたと思います。


前里がそこで言ったのは、

「自分が思うほど相手の反応がないと感じていたはず」


そうです。

僕はこれまで、一生懸命になればなるほど、

何も伝わっていない。

感動してくれない。

と感じていました。


そして、やっぱり自分は

前里と違って実力がないからなんだろうと片付けていた。

でもそれが違うんだということを教えてくれました。


綺麗な話し方や、飾った言葉、魅せる為の言葉など、

「この人の為にただ伝えたい」

というシンプルさには到底及ばないんだと。


もし話し方が下手で、支離滅裂であろうとも、

その気持ちから発信される思いは必ず届く。

だから準備を重ねて、練習を重ねて人前で話す必要はない。

本当にただ伝えたいという純粋さの中で、

そこに立てるかどうかの方が重要だ。


今のお前なら「本当に伝える」を実感できると。

だから、何も考えずに話せばいい。


そしてその言葉通り、

僕は本当に伝えること、

伝わることの素晴らしさを知ることになったのです。

相手の感情がダイレクトにこちらに入ってくる。

相手とまったく同じ状態になっていることがハッキリわかる.

相手が何を思っているのかが疑いなくわかるのです。

これまでとは全然違いました。

とにかく素晴らしかった。


私達は一つであるということは、

もしかしたらこういうことなのかもしれない。

そう感じながら僕の話は終わりました。

そして、受講者の方が最後に言ったこの言葉が印象的でした。


「心から人をうらやましいと思ったのは、今回が初めてでした」


     

川満由希夫 vol.8  「人は救えない」 



カウンセリングとは何か。

一言で伝えることはできません。

カウンセラーは世界中にたくさんいて、

そのカウンセリングを受ける方はさらにたくさんいると思います。

その手法はさまざまで、もしかしたら何千、何万という単位で存在するかもしれません。

だからこそ一言で伝えることはできない。


しかし、今回のセッションの途中からの内容は、

その「一言」に限りなく近いものなのではないかと、

僕は個人的に感じながら話を聞いていました。


受講者の方の質問

「カウンセリングにはどうしても時間がかかる」

「なぜミツさんは一時間でそれを完結させることができるのか」


たとえば心の病で悩んでいる方は、

何回も何回もカウンセリングをし,

少しずつ状態が良くなっていくというのが基本的だ。

その方はそう話します。

そう決めつけているわけではなく、

実際にご自身がカウンセリングをする時のスタンスがそうなんだと。

しかし、前里の場合、たった一度の1時間のカウンセリングで、

その状態から抜け出したという方も少なくない。

それを知っての質問になるのだが、

なによりも、受講者の方の仕事に対する姿勢が素晴らしい。


そして話は少しずつ核心へ。


「本当の意味で人は救えない」


前里はこう言いました。

それはこういう意味でした。


「人はすべて価値満タンだから」


価値満タンな人を救うということには矛盾があります。

どんな知識や、技術も、たとえば

「溺れかけている人を船に引き上げる」

という元が発信になるのは少し矛盾が生じる。

元々、自分で船に這い上がる力を持っているということです。

だから、手を差し伸べるのではなく、

自分で船に上がることができることを、

その方法を伝えるというのがより正解に近いです。

しかし、これは僕の考えによる例え話です。


前里はこう言っていました。

カウンセラー自身が完全に幸せで在ることが、

最高のカウンセリングになるんだと。


要するに「豊かさ」の話に戻ってきます。

ここでは簡単にお伝えします。


「豊かな状態とは、価値満タンを知っている状態」


カウンセリングには言葉も大切、知識や技術も必要だと思います。

だけど、価値満タンを知っているという豊かな状態で在ることが、

それを超えるという事です。


続けて前里はこう説明しました。

自分の価値満タンを知っているからこそ、

相手も価値満タンだということが心でわかる。

だから相手の負のような感情には乗らない、合わせない

自分の価値満タンを溢れさせながら、

相手の価値満タンのみを見続ける。

カウンセリングの中で必ずやるのは

「あなたは価値満タンです」

と伝える事なのだと。

もちろんその伝え方にはいろいろな方法があると思います。

だけど、その1点に向かっていくことが、

最高のカウンセリングなんだと僕は思いました。


豊かさとはすべての土台であるということに、

僕も受講者の方も触れることができました。



そしてこのあと、僕が受講者の方の前に座ります。


実は、途中ですでに胸の辺りが熱くなっていて、

今にも涙が溢れそうなほどでした。


     

川満由希夫 vol.7  「在り方は能力を超える」 

目的地に向かっていた前里は予定を変更しました。

「記憶の話」で盛り上がった後のことでした。

「豊かさ」についての話を少し聞いていた僕に

「今日は思いっきり豊かな時間を過ごそう!」と言ってくれました。

行きたいところはないか。と聞かれ

「表参道」と答えました。



僕は18歳で東京に出ました。

学校へ行きながらアルバイトをしながら、

週に1度だけ表参道に行きました。

原宿や表参道という響きが、あの頃の自分にとってはとても輝いていました。

そこで何をしていたかというと、ただ歩道のベンチに座っていました。

一通り歩き廻った後は、いつもベンチに座り人を見ていました。

洋服が好きだった僕は、

奇抜な服を着たピンク色の髪の毛の人や、

雑誌に載っているようなお洒落な人を見ながら


「今、憧れていた東京の原宿にいるんだ」


というワクワク感を味わっていました。

特に買い物をするわけでもなく、

ただその時間を過ごしていました。

思えばそれは、あの頃の自分にとって

とても豊かな時間だったのだと思います。



そして約10年ぶりに表参道へ行きました。

あの頃と同じように、何をするわけでもなく

ただ歩いて昔のことを思い出しながら前里に語っていました。

街の景色は変わっていましたが、自分の思いは変わりませんでした。

それよりも「豊かな時間を過ごす為にここに来た」

という初めての経験が、さらに思いを増幅させていました。



そしてその日は、夕方からセッションの予定がありました。

僕もよく知っている方で、僕はその方のことがとても好きです。

どうしても喜ばせたくなる人であり、

その喜びで人を嬉しくさせる人だからです。

もちろんそれだけではないですが。

そして僕は、昨夜の体験の後に

前里以外の人と話すのは初めてになります。


今の状態は、ただそれだけで人に良い影響を与える。

大きな変化をした直後だからなおさら。

今日のセッションの方はラッキーだと思う。

前里はこう言いました。


僕は嬉しかったです。

とにかく誰かに伝えたくて伝えたくて、

この思いはなんなんだというくらい、

伝えたくてしょうがなかったのです。

それが今日できる、という喜びがありました。


そして不思議なことに、

伝える場面を想像するだけで、涙が出そうになります。

出そうになるというのは、出さなかった結果なだけで、

独りでいる時なら確実に号泣していたでしょう。

ただ、35歳の男が二人で表参道を歩きながら、

一方が号泣している姿はあまりにも衝撃的だと思い、

涙をこらえたのです。


その涙の込み上げは東京オフィスに戻るまで何度も続きましたが、

なんとか無事に着きました。



そしてセッションが始まります。

前里が話し始めます。

それは「豊かさ」についてでした。


透視・チャネリングのセッションを目的としていましたが、

始まりは豊かさについてでした。

その理由はシンプルにお伝えするとこうなります。


「豊かな在り方は、透視・チャネリングの能力を超えている」


どういうことか説明します。

ただし、簡単に説明するのでこれがすべてではありません。


透視、チャネリングの能力は訓練次第で習得可能です。

技術を磨くということができるのです。

もちろん、ただ機械的に何かをすれば大丈夫というわけではありません。

心の状態が大きく作用するのは当たり前です。

しかし「豊かな在り方」で在ると

その能力を超えた「分かる」という状態になります。

透視で視る、それを元に情報を伝える。

チャネリングで情報をとる、そして伝える。

という流れが「瞬時に分かる」に変わるのです。


あくまでもシンプルに分かりやすくお伝えしていますが、

実際は何時間もかけてお伝えする場合がほとんどです。


理解としては、透視・チャネリングの能力も

「在り方」の中にあるものだという事です。


まずはこのことを伝えていきました。

「透視・チャネリングのセッション」

というイメージでいらしていた受講者の方も

その豊かさの香りにどんどん引き込まれていきました。

そして、話はどんどん深まっていきます。

その方のお仕事についての角度から、

「豊かさ」ということについての落とし込みが始まったのです。