「前里光秀大学 学問のすすめ」---過去記事より抜粋---
明治初頭に刊行された
福沢諭吉の
『学問のすゝめ』は、
今もなお
模範とすべき「学問論」として読み継がれています。
福沢諭吉の
「学問論」というのは同時に
「人生論」、
つまり
「在り方論」であったので、
普遍的に各時代へと訴えかけるものが多くある
のではないでしょうか。
福沢諭吉の言う
「学問」の特色のひとつは、
いわゆる
「精神と身体の活動」で、
それは「学習」とは大きく区別されます。
「学習」とは、
すでに答えが存在しているものを問い、
その答えを求めるプロセスが重要視されます。
一方
「学問」は
未知なるものへの問いであって、
その答えを求めるプロセスとその究極にある答え(と思えるもの)
を正当性をもって追求し、
「体系化」もしくは「創造」することが求められます。
だからそれはただの「学習」とは言わず、
生産性のある「活動」になるのです。
もちろん、ここに答えが存在するかどうかも知られていませんが、
前里光秀大学の「進化生態学」によれば
「真実はひとつ」であると同時に
「真実は多次元的」であるので、当大学では
何かしらのかたちで答えが存在している
前提で学問しているのです(その姿勢が「チャネリング」をうみます)。
福沢諭吉の
「学問」のもうひとつの特色は、
それを
「社会的役割を果たすための術」として捉えている点にあります。
だから「学問」することを「学者」や「専門家」に限定せず、
「学問」とは
実生活の中で活かされるべき「実学」
として存在するべきであるということです。
「学問」をする各個人の価値観というものは
それぞれ違うわけですが、
その「絶対」が存在する内面(観念)をも変えてしまうには、
徹底した姿勢、つまり
「社会のために」「家族のために」「自分のために」という
自らの強い意思により「学問」へと携わる以外にはありません。
つまり、
「実学」としての学問を身につけるならば
学問それ自体を通じてしか習得することはできないということです。
ですから、
「学問」には学問の最前線を追及していく場所
に身を置くことが必要であるのです。
以上見てきましたことを念頭に、
前里光秀大学では特に
「創造性を学問する」のです。
「進化生態学」を含む「創造の仕組み」とは、
フルトランスチャネラー前里光秀よりの
数百年先の未来
からのチャネリング情報がほとんどの内容をなしています。
思いを馳せれば、古代聖人によってつくられた知識の体系も、
当時としては常に
数百年先のような画期的な概念を多く含んでいた
はずですから、
数百年先の未来の人類たちが「学問」として
「創造の仕組み」を学ぶことも十分に考えられることです。
最後に、前里光秀大学の精神中枢にある
「独立独歩」。
福沢諭吉の「学問」の目的にもあるように「独立」、
特にその
「精神的な独立」は「人の力になる」こと
を可能とするものである。
前里光秀大学では、それを究極の目的として追求しながら、
100年先の人類にまでも有益な情報とその体系化を任務として、
「創造性を学問します」。
株式会社 前里光秀研究所 和田一真
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