「したい」→「する」=「学び」 



前里光秀大学 第1期生卒業式。

プログラムのスタートは「SAN 回想の記」でした。

未公開のフルトランス映像が会場のスクリーンに映し出され、

SANからのメッセージは、卒業生、会場にいらした皆さんすべてに

しっかりと送られていました。



その映像の中で僕がした質問。


「プレーン星に音楽はありますか? 芸術というものはありますか?」


答えは「あります。」


しかし、この地球にはSANが言う「芸術」にあたるものはないそうです。

音楽もこの地球での音楽とは違うのでしょう。

とても興味深いですね。




「それでは何を芸術というのですか?」


そして、僕のこの質問に対する答えはとても心に響くものでした。




「残せぬもの」

「目に見えないもの」




それが芸術だとSANは語りました。


たとえばあなたが絵画を見た時、理由はわからないけれど心に迫るものがある。

素晴らしいと感じる。

たとえばあなたが音楽を聴いて、心地良いなと目を閉じる。



「心で感じる」



それが芸術なのだと僕は解釈しています。

しかし、「あなたが今見ているものが芸術です」ともSANは言いました。

目に見えないものも、今見ているものも芸術…


その矛盾さえも心で感じるレッスンなのかもしれません。



心で感じるという言葉は、前里光秀大学 1期生の講義の中で何度も伝えられました。

前回のワークショップの始まりでも伝えられています。


「理解」では限界を迎えることがこの世界にはある。

言葉は偉大です。でも言葉を超えるものがこの世界にはある。

自分のすべての領域を超えるものがこの世界にはある。

私たちは、頭脳での理解段階ですでに明らかであるその事実を、

まるで無視するかのように頭脳を駆使する。


「超えた先を理解したい」と思いながら、

この言葉にも矛盾を含みながら、

その上を知ることを許さない動きを続けていく。


では学ぶこととはなんなのか。

「理解する」ということでないのは確実。


僕は学ぶこととは「する」ことだと考えています。

「する」ことによって完成するのが学び。

場合によっては、学ぶことも学び。

学ぶという「する」もそれを完成させる方法だと思います。

だから学びの前段階としては、

「知りたい」ではなく「したい」と願うことが普通であると言えます。

「どうなりたいか」は重要です。

しかし、私たちは何かに「なりたい」のではなく、何かを「したい」はずです。

なぜなら、何かになれば確実に何かを「する」のだから。

それならば、初めから「する」を基準で生きる方がいい。


前里光秀大学 第2期生の講義がどういう内容から始まるのか

どう展開していくのか。

それはまだ誰もわかりませんが、


「する」の意識が多ければそれだけ中身が上昇していくことは間違いないと思います。


特別研究生がそれを引き上げる役目を担っているのかもしれませんね。

その重要性を肌で感じてきて、その重要性を語れるのが前里光秀大学 第1期生。

だから特別研究生のプログラム内容には「する」の要素が含まれているのかもしれません。

僕は最近ある方とお電話で話しました。

特別研究生の方です。

とても真摯に特別研究生について考えてらっしゃいました。

それが嬉しかったです。

そして僕はその方に、「僕も特別研究生になりたい」と言いました 笑

僕も「したい」ことがたくさんあるからです。



株式会社 前里光秀研究所 川満由希夫
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