「ゼロの衝撃」 ⑤死後の世界を超えた「ゼロ」 

「ゼロ」のようなミツさんは、
まるでそれすらも超えているような「死後の世界」
についても語り始めました。


 「なぜ、死後の世界があると思いますか?」


もし死後の世界を体験していることが「ゼロ」だとしたら
そこにはそれ以上の世界はありません。

「死ぬ」度に「ゼロに戻る」こと
がなされるというわけですね。

しかし、「死んでいる」人たちも
テレパシーで会話をするとある種の観念体系
を体験している。

「ここだけがすべてだ」と思っていたり
「自分がどういう状態か」に気づいていなかったり。

気づいている場合でも、「いつづける」のなら
それも変わらない観念が映し出している世界です。


「肉体」の必要性は超えてはいても、
「思考」としては超えていない。


だから「死んでいる」ことすらも「ゼロ」ではなく、
ミツさんは例としてその状態を「5」と言っていました。

驚くべきことに、実は「ゼロ」というのは
「死」すらも超えて「落ちる」ということ、
つまり「死」の概念・観念も「破壊する」
ということだそうです。



分かりますか?



例えば人生を破壊する究極の手段として「死」を選択したとしても
実はそれは少しだけ「落ちていく」だけに他ならず、
生まれ変わりを繰り返しても毎回「落ちる」わけではない。

だから本当に
「落ちる」「ゼロに戻る」を体験しようとするなら
それは「肉体の死」とは無関係で、
「ゼロ思考」とでも言うのでしょうか、
肉体の有無ではなく思考によってのみできること。

「ゼロ」は、本当に「ゼロ」だった、
ということなんです。


「死」を「終わり」と思っている以上、
そこから先に進むことはありません。

また、「死」の先を超えた概念がある
と分かったところでそれは使えません。



本当に「落ちる」とは?
「ゼロに戻る」には?



分かると思いますが「ゼロ」と「7」の違いは
「1」と「8」の違いと同じではありません。

「ゼロ」を「ゼロ」以外で表現する
ことはできません。

ミツさんも「体現」をギリギリ言葉力を借りながら
「見せて」くれました。

「教える」ことが出来ないので
そこにいて「見せて」いてくれました。

それを見せられた僕たちが
ミツさんのように「ゼロ」を体現するには、
唯一「つかむ」ということだけが正しいのです。













株式会社 前里光秀研究所 和田一真
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