「ゼロの衝撃」 ④幻想のようにゼロが走る 

その「破壊と創造」は同次元でのみ行われるので、
「今」という瞬間に意識が「ある」ことで
できるようになっています。

だから「過去」や「未来」が
あたかも固まったように「今」を生きることは、
それは「浮く」ということになります。


「今」という次元を「地上」とおきかえるなら、
そのグラウンドレベル=ゼロを「歩く」ことが「破壊と創造」。

「歩く」という基本動作が「ゼロ」を実現するとき、
それはどの瞬間も「破壊と創造」。

「歩く」が、「今」を破壊し、
新しい次元の「今」を創造。

その新しい次元の「創造」がある前提で、
「今」という次元を「破壊」する。


その結果として、「ゼロなんだ」という認識が
はじめて体験としてわかるもので、
「ゼロ」は目指してできるものではなくて
「いつづける」結果として、「破壊と創造」の結果として、
「わかる」ということになります。

知ったからといって、目指したからといって、
そうなることができる訳ではない「ゼロ」。



ミツさんが言っていました。

「そうか、地に足をつけるということか」
と思ったとしたら、それも違うという。



この言葉の観念にあるのは
「地に足をつけないことに合意している」
という前提があって、そう言っている。

言葉の構成自体が、実はもう死んでいて、
恐らくこういう言葉が流行った背景には
「ゼロ」の大事さに気づいて「ゼロ」に戻ろうとした人が
その理想を表現したくて言った言葉ではないでしょうか。

「ゼロ」を体現する「同意」「許可」は
そこへのベクトルが示すものではなく、
「そこそのもの」しか出すことができない。



このとき、ミツさんは「ゼロ」そのものの化身
のようでした。



僕には、足もとから煙のような蒸発と
「なぜそんなに揺れて立っているのか」と、
存在自体が薄く見えていました。

不思議な感覚でした。


また、僕たちがこれを目の前にしたことは
その合意があったのは間違いなかったですが、
それをものにするかどうかはまったく分かりませんでした。

地球意識として、それに気づきそうなラインまで
きていたのはあったと思いますが、
それを突き抜けていくかどうかは
僕たちに委ねられていました。

そういうギリギリの緊張した局面が
しばらくの間、あの世界を支配していました。













株式会社 前里光秀研究所 和田一真
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