垣間見た「一流」の世界 

ミツさんが、年末は
沖縄に戻ってきています。

そこで、週末は久しぶりにゆっくり
ミツさんの自宅に呼んでいただきました。



東京に行ってからのミツさんは、
その集合意識に溶け合うような柔らかさで
僕の妻も驚くほど、雰囲気から新しく変わっています。

異文化が交錯する多様性の街・東京ですから、
その多くの側面を映すように、ミツさんは
また「変化」しています。





そのなかでの話、「複雑さ」と「一流」について。





ポイントから言うと、
「複雑さ」が自分の中にあると
見えるべきものが見えないだけでなく
自分の内面すら分からないということが起こります。

現象の解読ができないということは
結局は自分自身のことが分からないことにつながり、
「複雑さ」をよしとして暮らすことは
そのまま分からないまま「騙されていい」
という自分への許可にもなってくるのです。


何かをするためにこの地球に生まれて来たのに、
いつの間にかそれも分からなくなって
「自分は大したことできない」と
利口なふりをして自分で自分自身を騙しながら、
創造性を止めながら人生を過ごすのです。

「一流」とは真逆。



僕の中にまだある「複雑さ」を取り上げ、
ミツさんは優しく教えてくれました。


「やる」と言ってやらない複雑さ、
「欲しい」と言って手を伸ばさない複雑さ、
「変かもしれないが」と言って決めつける複雑さ。


複雑さはいくつもの矛盾を抱えますが、
問題はそのままでよしとする怠慢。

もちろん個人的な問題ならまだしも、
それが仕事の成果とも関係してくるので
教えてくれたのです。





そのときに見せてもらった、ある「一流」の物語。





それは、ある「一流」料理人同士の出会いを描いた
5分くらいの録画映像でした。

ミツさんはその映像を見て「衝撃が走った」と言いましたが、
僕はそれを見ても「よく分からない」と言いました。

(一緒にいた剛さんは剛さんで、何か言っていました笑)



その詳細については、別の機会に譲るとして
伝えたいのは「複雑さ」が生み出す「シンプルな人」とのこの「差」



「観念の解読」ではないですが、その5分ほどの映像に散りばめられた
「一流」と言われる料理人の本質。

その解説を聞けば聞くほど、
どれだけ自分が複雑に見ようとして現象を見れていないのか
それに改めて気づかされたんですね。



解説があって初めて気づいた、その料理人たちの
凄まじい「在り方」とその背景にある「文化」



「在り方」の様相について少し。



※ 映像の中でのインタビュー中、
  手をいじりながらそわそわしたように見える

それは、おごることなく普通に見せようとする気配りであり
早く料理をつくりたいワクワクした状態。

※ 別の一流料理人との出会いに「衝撃を受けた」というような言動

数十年「一流」と評されているにも関わらず
他の文化を受け入れる低姿勢と積極性。

※ インタビュアーに突っ込みを入れる

人の心にスッと入る重心の低さ。

※ 料理をつくりはじめる場面での横のちら見

緊張することもなく、光が当たっていることを気にすることもなく、
ただその料理につかう具材の量があっているのか確認する冷静さ。




こういう人が、「一流」の一例。

ミツさんの解説の、ほんの一例です。





その世界の様相は
まだまだ言葉だけでは計り知れません。

「一流」にならないかぎり、「一流」の本質は
絶対に分からないと思います。



「いかに在るべきか」

自分の創造性を騙しながら苦労して生きるより、
ただシンプルにやりたいことをやる。


その気持ちのなかに配慮があり、真摯さがあり、豊かさがある。



ミツさんから教えてもらったことから
みなさんにも、まずこれをシェアします。









前里光秀研究所 和田一真
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