次に、前里が持ってきた十数冊の本を使っての
あるセッションを行いました。
そこでは受講生が、その本の中から
何となく興味のある本を選んで手に取っていきます。
冊数もそんなにあるわけではなかったですが
その本が示す意味、これは興味深い話でした。
その選択はみんな、特に熟考したわけではありません。
でもその選んだ本の中には
「自分の大事にしている価値観」が入っているそうで、
またその価値観に合わせた本の内容ですから、
それはつまり価値観に沿って選択した慣性のなかでの本の選択。
ということは、その本を読んで新しい価値観を入れたとしても
ある程度自分の枠からは外れないような仕組みがはたらき、
「変わりたい」という思いに対しては満足できる結果は得られないのです。
では、「変化」するにはどうすればいいのか。
それは、別の受講生が選択した本と交換することです。
また、講義会場の席でいうと
遠い席に座っている受講生と交換すること、
しかも自分が普段は絶対に選ばないような本を選択する、
それが慣性を変えていくことになるとのことでした。
そのとき受講生からは少し悲鳴にも似たざわめきがありました。
それもそのはずで、実はこの交換の指示がある前に、
選んだ本からはいいと思う言葉の書き出しも行っていたからです。
自分が選び、かつ共感できる箇所を探すための読み込みもする、
愛着が湧いたなかでの交換だったからです。
動揺しながら交換した後、
受講生はそこにはたらく仕組みを学び、
その新しいリアリティを受け入れていったようでした。
今、この宇宙にこうしているリアリティとは
別のリアリティが並行して無限に広がっています。
そのなかで「ここ」を選択しているのには、
いつも大きな慣性がはたらいています。
その慣性は宇宙のルールでなくなることはありませんが、
別の慣性系へと移ることはできるようになっています。
まったく興味のない雑誌を買う、
考えもしなかった娯楽をやってみる、
普段着ないような色の服を着る。
見た目には些細なことでも、
一瞬前には想像つかなかったスタイルを生活にいれる。
そのとき、リアリティは
それまでの「価値観」という惰性から展開された慣性系から外れ、
鋭角なカーブをハンドル切るような新しい慣性系の軌道に乗っていきます。
また、そのときは心がもとの軌道のままでいくような慣性がはたらきますが、
それも完全にカーブを曲がって疾走していけばもう戻ることはありません。
それが、「慣れる」ということです。
そして気づくのは、それまでのリアリティは
変化を嫌う潜在意識が安全とみたうえでのリアリティであって、
必ずしもいる必要がなかったリアリティであるということ。
前里が教えてくれた「リアリティは無限にある」ことの意味は、
「今」という慣性系から外れるために存在している
ようなものかもしれません。
もし慣性に流されるままの人生であれば、
連鎖状につながった1つのリアリティがあればそれでいいのです。
前里光秀研究所 和田一真
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