前里光秀大学【37】 「影」を認める、受け入れる 

「豊かな人」も、実は「成功者」同様
「光」を自分に当てます。

ただ、その量は足元を照らす程度の量であって、
残りの光はすべて周囲の人に当てます。



想像したらすぐに分かるように、
その場合、本人がつくりだす「影」というのは
自身の背後のようなほんのわずかな側面のみです。

だから、「影」はほとんどない人生ですし、
ある「影」も小さくて薄く、それだけ明るい全体の中では
ある一定以上になろうものならすぐに消し去られます。

また、「ある一定」とは、自身の潜在意識の階層を
下から上がっていく途中のことですが、「光」だらけの全体では、
「影」は現象界に影響を与えることが難しいということです。


それと同時に、「影」が寄生する「場」も
本人の周囲にはないわけで、
いかに「豊かな人」が暖かい場所にいるか。




ここまで読んで気づく方もいると思いますが、
「豊かな人」は、「成功者」と比べて
ボールの上に立つような絶妙なバランスの上で暮らしています。

前里が「豊かな人」の在り方を
繰り返しあらゆる角度から講義するのは、
それを多面で映さないと紙一重で勘違いしてしまい、
「Be」を語りながら「Do」にすり替えてしまう
危険性があるからだと思います。




受講生のひとりが、「Be」の講義を聞いて
「これまで自分はずっとDoで来たことに気づいた」
と言いました。


一見、この発言に共感しそうになりましたが、
前里はそのすり替えを見逃しませんでした。

それは、過去の「Do」に「気づいた」と言うことによって、
その体験をなおも強固にしようとした行為です。

そこには、「変わるものか」という変化を嫌う潜在意識の作用があり、
本人は気づかずに受け入れまいとしようとしていたのはもちろん、
前里にその言葉を投影し、前里にも「影」を落とそうとしました。

もちろん前里がそれに気づかないわけはなく、
また、他の受講者も気づいたようで、
みんなからは笑いが起こりました。


言葉に含まれる意図を探ると、
潜在意識下ではこのようなことが起きていることが分かります。

ちなみにこのケースで言えば、
未来を語ればよかったようです。





「影」は、あります。

ただ、自身に内在する「影」とその特性を知ることができれば、
必要以上に恐れることはないのではないでしょうか。

「影」について前里が淡々と話すのは、
その正体を知っているからです。




「知ること」が、いかにパワーがあるのか。

僕はそれを改めて確認したのです。










前里光秀研究所 和田一真
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