前里光秀大学【26】 覚醒と豊かさ、そして価値満タン 

まず、「豊かさ」とはなんでしょうか。


前里が定義した結論からお伝えしましょう。




それは、

「やりたいことを、やりたいときに、やりたい場所で
 やりたいようにやっている状態」

のことをいいます。








自分が何かを創造したいと思ったとき、
「いつ」「どこで」「どのように」表現するのか。

それを好きなように表現するために欠かせないものが
「豊かさ」で、それは完全に「ある状態」を指します。

そしてその「ある状態」があってはじめて
この世界解釈がとても香り高いものに感じられるのです。




それが、「価値満タン」ということです。






この話を聞いて僕は
あることを思い出しました。


4年ほど前までは、
前里のイメージといえば「覚醒者」で、
それまでごく普通の生活をしていた人物が
「米国ヘミシンク技術によって爆発的覚醒をした」
というふうに言われていました。

その頃、今でいう「創造の仕組み」という言葉も
考えとしては前里にあったかもしれませんが、
それよりは体外離脱・透視・チャネリングという特殊能力を
「覚醒によって身につけた」という側面が
クローズアップされていました。


だから、ワークショップに参加された方も
「覚醒したい」という言葉を頻繁に使っていたんですね。



そのような状況で行われていたワークショップで
ある人が前里にこう質問したことがありました。





「ミツさんの言う、「覚醒」の定義はなんですか?」


そう質問すると、即こう答えました。


「自分がやりたいことを「やりたい」と言って
 それを実行することができる状態です」





これはそのときの言葉そのままではないかもしれませんが、
たしかにそのようなことを言っていたのを覚えています。

なぜ覚えているのかというと、そのときの意外な答えに僕は
「それが覚醒…?」と思ったからです。



僕は「覚醒」とは、かつて
特殊能力を身につけることと同義だと思っていました。

でも前里が言った定義はシンプル、
それよりも簡単そうで、でも特殊能力について触れていない分
つかみどころのない状態を指しているような気がしました。



今になって少し分かるのは、
「やりたい」に続く「やっている」状態は
思いと現実が一致している、
その他の準備がすべて整っている状態だということ。

でもここで言っている「整っている」とは
知力、体力、経済力のような能力パラメーターが
「必要なときに」「必要な量だけ」あるということです。


一般的なものさしで完全である必要はありません。




前里の定義を解釈すると、前里がそうであるように
その特殊能力獲得は「やりたいことを実行した」結果としての現実
だとも考えられます。

また、特殊能力はその現実の一部としてあるだけで
そこが目的となっていないことに注目してください。

そういう意味では、覚醒している人は
世界にはたくさんいるのでしょう。


そしてまた、そういう人々が必要と感じたなら
何かしらの方法でめぐり会うかのように
特殊能力を獲得するのだと思います。





ここまで見てきて気づいたと思いますが、
恐らく前里は「豊かさ」と「覚醒」をほぼ同義として
扱っています。

そしてずっとそれをテーマとしてやってきましたが、
それらを包括する上位概念として、冒頭のこれに戻ります。






それが、「価値満タン」です。








前里光秀研究所 和田一真
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