前里光秀大学【24】 学ぶべきは、誰のため 

前里光秀大学では、
これまで書いてきたような「創造の仕組み」を
半年間みっちりと勉強していきます。


ここでは実学の大事さをとにかく尊重していて、
「理解しました」という受講者の声も
「それが人生にどう変化を起こすのか?」という視点から
その理解の先を見るように促されます。






理解の先にあるもの。






それは、「理解」とはすべての創造性のうちたったの2%で、
それをシンボルとしてある、その先の100%が
いよいよ「心」のみでつかむことができる
仕組みの実際なのです。

だから、理解する2%がどれだけ大したことがなく、
その先があるということを知っていることが
どれだけ手にする前提での動きにつながってくるのか。


そういったことを前里が講義したときに教えてくれたのは、
「人に伝える」「人の力になる」を考えずに聞いていた場合、
理解だけして言葉がついてこないという体験をするということです。





「誰かのために」という動機はまさに全体性のことで、
それをやって全体性に入ったとき、前里は
「想像を超えた実力が表に出てくる」
と言っていました。

また、そのような全体性がない場合、
誰にも喜ばれる体験をしないために、
ある難しいテーマの場面で
このような疑問がわいてくるのです。



「なぜ、学ぶんだ?」

「何を、学んでいるんだ?」

「自分は、何をしているのか?」



僕が塾で受験生を指導するときにいちばん大切にするのは、
「目標をもつこと」です。


これに含まれる意味でここに関係するのは、
「目標」という定まったベクトルが指示されないと
例えば「難問」という
思考回路を混乱させようとする問題にあたったとき、
「そもそも何のためにこれを解いているのか?」という
とても面倒な初歩的な疑問を本気で探し始めるのです。

このような「答えのない答え」は、
ただただ「全体性」から外れた「個」の世界に入っていくので
それを再度「全体性」へと統合させるのは非常に難しいのです。
(もちろん本当の意味では、ずっと全体性の中にいます)
















スピリチュアル世界も同様。





在り方としては常に全体性の中で、
そして学ぶべきは常に誰かのため。


それが、この人類意識から選ばれる唯一のルール
なのだと思います。











前里光秀研究所 和田一真
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