前里光秀大学【23】 「水」の心 

「変化」の大事さに気づくと、
それに順応するように「心」がやわらかくなります。

その様相は、目に見えない心ではありますが、
例えて言うなら「水」のそれと同じだということです。





意識は無意識下でつながっているので、
誰かと対面したときに各自がつくる意識、例えるなら「水」は
混ざり合うようなかたちで1つの大きな「水の輪」をつくります。

だから何気ないやりとりの中でも
意識では水でつながっているので、
相手のことが分かるようになっています。


これに対して、対面に恐怖を感じる場合などは
その「水の輪」を切断してしまい、
相手とのつながりを分からなくしてしまいます。

「恐怖」とは「変化」する前にそれを拒んだ状態なので、
「変化」をよしとするとその切断はまた修復されていきます。






古代中国思想家の老子は、
あらゆるものの根源として「道」を説きましたが、
そのなかでそれに近いものとして「水」を挙げています。

「水」は万物に利益を与え、
「水」は争わず自然に従い流れる、
つまり、「水」は何物も支配せずありのままにある、
ということです。




前里は「やわらかさに力がある」と、
「水」を例にして教えてくれました。

自然に従って天から地へとひっそり流れながら、
いざというときにはあらゆるものを破壊する力をもち、
また、その環境によって水蒸気へと変化したときには
目にはほとんど見えないながらも多くの影響を与えている。



それでも、自らアピールをしない「水」。





ここでまた、「全体性」について、
話はつながります。


まず、ルールから言うと
全体性の中では、自意識が強い人は
ピラミッドのような階級でいうと上には上がれません。

それは、自意識が強い人は
「全体性」の中でも「個」をアピールするので
重要な役割(ピラミッドでの上)を与えると
それ以下の層を攻撃する可能性があるからです。



だから、スピリチュアルを学ぶ動機として
例えば「有名になりたい」「すごいと言われたい」
というのがあるとすると、
結果的にそれはその人の能力を開花させにくくします。


前里が言うには、もしそういう心があったとしても、
「そういう心がある」と言えるかどうか、
認めることができるかどうかが大事だと言っていました。

なぜなら、そうやって自らの内面と向き合う作業が
実際には全体性のピラミッドの中での共感を呼ぶことになり、
それがあっても認められることがあるからです。





前里光秀大学の受講者の方が
どういう心があって入学したのか、
それはもはや問題ではありません。

確実に言えるのは、前里の講義によって、
自らの心とその全体性への影響を考えながら
「水の在り方」を取り入れていったということです。



それは、常識を超えた目に見えない世界への配慮なので、
まずは取り入れようとすることが大きな「変化」を生むのです。











前里光秀研究所 和田一真
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