前里光秀大学【21】 目には見えない「挑戦」の数 

「変化」「創造」「挑戦」





「挑戦」=「地点」








A,B,C…どの地点を選択するのか、
またはどれとどれを選択するのか。


多次元存在である私たちは
常にいずれかの地点を選択し、
常に同時に並行していくつもの地点を選択しています。



その地点こそが、「挑戦」



見える地点の数だけ挑戦を選択できる、
つまり、選択肢の数が「挑戦」でもあります。



前里は「挑戦」について
分かりやすく図にして教えてくれました。


グラウンドレベルから「挑戦」の芽がいくつも、
それこそ違う長さで草木のように生えていて、
それはこのフロアレベルからしか確認できません。

だから見える「挑戦」があれば、
見えない「挑戦」もあります。


その中で、その「挑戦」の芽を見つけやすくするには、
ある2つの方法が存在しています。





1つは、「挑戦」の芽を育てること。


そもそも「挑戦」の芽は誰にも見えるわけではありません。

物質化しているように誰でも見える部分もあれば
非物質化しているかのような部分もあって、
ある人はその「挑戦」がある程度の長さでよく見え、
またある人はその「挑戦」がほんの少しの細さでしか見えない。

そのように見え方は人によって違いますが、
その見え方を決めているのが、「楽しむ」ことです。


「変化」を楽しむことが、
その見えるけど見えない「挑戦」の芽を
青々とした緑として映像化させます。

また、「変化」を怖がると
その「挑戦」は未熟な芽のように映るでしょう。


「変化」「創造」「挑戦」


この3つのキーワードで最後に来る「挑戦」は、
エリアを包括する「変化」との関連性が
非常に深いキーワードです。





次に、「挑戦」の芽を見つけやすくする2つ目。


それは、フロアレベルを下げて
「挑戦」の芽を多く見えるようにすること。

今立っているフロアレベルは
あくまで多くの人が立っている高さであって、
本当はその高さにとどまっている必要はありません。

それに気づき、フロアレベルを下げていくと
これまで見えなかった「挑戦」の芽が見えてきます。

その下げ方については、
四股で床を踏み抜くような重量感が必要です。

それはバランスであり、安定感であり、
「地に足が着いている」とも言われることです。


「地に足が着いている」とは、
何よりも現実を直視し静かな洞察の中で
「挑戦」の芽を見つけることのできる状態です。

「変化」する瞬間の中で、「挑戦」の芽を見つけることは
それだけの冷静なモノを見る目も必要なんです。

そういう人にとっては、現実のあらゆる場面・現象が
あくまでも「挑戦」の芽に見えて、
日常の何気ないシーンも楽しめる要素となります。




まだ他にも「挑戦」の芽を見つけやすくする方法は
いくらでもあると思います。

ただ、共通している前提として外せないのは、
「変化」を受け入れる中でのみ、「挑戦」が見えてくる
ということ。






はじまりは、いつも「変化」からなんです。








前里光秀研究所 和田一真
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