前里光秀大学⑯ 「分からない」をつくる人間関係 

前里光秀大学では「学問の5本柱」という
講義体系があります。

その中でも、この日は「通常講義」といって
都内にある会場で10時から17時まで
前里がただただチャネリング情報を流しつづけます。






そのお昼休憩のときのことです。






前里とゆきぃさんと3人で食事をしながら
午前中の流れについて話し合いました。

前里はできる限りの配慮のなかで
ゆっくり講義を進めていたつもりらしかったですが、
僕ははっきりと「難しくてついていけないです」と言いました。


その具体的なことについては、以前に書いた通りですが
前里からすると「みんなはそこでつまずいているのか」という
ポイントがいくつかあったようです。



そしてその後、
「どこまでいっても基本が大事だから」と言って、
午後の講義では午前中の復習から進めていくかたちとなりました。







これから前里光秀大学の講義が進んでいくにつれ、
「分からない」という場面は多々あると思います。



そのときに「分からない」という自分の
「価値が低いのではないか?」という勘違いが起きやすいです。

でも、実際は100%の「創造」の中で
選択をしているだけであって、選択している以上
それはある種「学びたくない」という思いでもあるんです。


その、学んでいるようで学んでいない姿勢は
心のどこかでその情報を否定しているような状態で、
その否定は心をガードする「硬さ」からくるものです。


ここで、学んでいる人の言い分としては
「学びたいが、どうしてもやってしまう」という
ことがあると思います。




でも、ここでも「創造の仕組み」




現実創造のメカニズムの出発点は「観念」があって、
その「観念」がつくる取り決めによって
反応する「感情」があります。

順番では「観念」の次に「感情」なので、
あくまでも「観念」が「決める」からそうなるだけです。



このような仕組みを普通は分からない理由があって、
「自分が決めている」と認識する機会を奪われて
日常を過ごしていることが多いからだそうです。



例えば誰かの「分からなくて当然」という言葉、
それを真に受けることは本来自分が決めた取り決めを
誰かの言葉によって自動的に「分からなくなった」
とさせてしまいます。

一度だけならまだしも、頻繁にそういうことがあるなら
現実創造のメカニズムに気づくことができないのも分かります。





前里は、「付き合う人を選ぶことは大事です」と言います。


これは「人を選ぶ」という意味ではなくて、
一緒にいて心地よいと思える「波動の好み」です。







自分は、自分を楽にさせてくれる人を好むのか?

自分は、自分が好きにものを言える人を好むのか?

自分は、自分を成長させてくれる人を好むのか?







これは、どのパターンでも「いい」「悪い」は
もちろん一切存在しません。


ただ、学問として「創造性」を学んでいくのなら、
その最先端をギリギリのラインでつかんて行くのなら、
「分からない」が出てきても、
最低限「分かる」ようになった先に自分が体験できる
成長を想像して「楽しめる」在り方が必要だと思います。




恐らく、前里は誰よりもそれをやってきた人なのだと思います。











前里光秀研究所 和田一真
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