前里光秀大学④ 「落ち込む」にみる変化 

「今」この瞬間に生きるのと同じように
「過去」や「未来」に生きることも
ある程度のずれは生じますが、できます。



「今」この瞬間は「瞬間」であって、
僕たちは時空を体験しながら「変化」を体験しています。

そのときにそれだけでは飽き足らず
意識を「過去」や「未来」に飛ばして
もっと大きな「変化」を体験することが可能です。

それを、前里が「エリアを感じる」と
表現しています。





「今」この瞬間がAだとして、
1分前がB、1日前がC、1年前がD。

その1年前を思い出すことは
「Dというエリア」を感じている
ということで、それは「変化」そのものなんです。


ただ、その行為をするときに
そこに「後悔」「苦しい」というラベルを貼ることで
結果、「落ち込む」ということが起こります。






ここでもまた新しい定義。





前里が言っている意味は
「落ち込む」という行為も、まさに「変化」
ということです。

「変化」の言葉の中には
スピード・自由自在・融通無碍…を感じますが
実は「落ち込む」行為すら、それと同じ。


まったく動いていないように見えるのは肉体だけで、
その意識の中では激しくA、B、C…と
意識がとてつもないスピードで巡っているのです。



この原因について僕が思うに、
「自分に対する無価値感」がそうさせるのだと思います。

本当はすべてを手にしている自分が「それを感じたい」がために、
あらゆる地点A、B、C…へ飛び確認することで
安心しようとするのだと思います。

ただ、それはわざと穴をあけたバケツに水を注ぎ足すのと同じで
あけて注いで、そしてまたあけて注いで…
の繰り返しになります。



だからこれを解決するには
こういうような「落ち込む」行為を
「最高のひととき」とすることである
と前里が教えてくれました。





前里がこの話をしたとき、学生の皆さんは笑っていました。


それはとても知的な笑いだったと思います。

なぜなら、そういう「落ち込み」すら
「変化」という超創造的な概念から一切外れることができない
ことへの見事なメカニズム、それを感じたからだと思います。





「落ち込む」ことは「エリアを感じる」ことで、
それは「最高のひととき」である。




さらに続けて前里はこう言っていましたよ。
















「こういう価値観を、受け入れられますか?」











前里光秀研究所 和田一真
関連記事