無の世界 




夢ミーティングの話を覚えていますか?



Sanからのメッセージによると

少なくとも入学説明会に参加したメンバーは

すでに「夢ミーティング」に参加している。

「少なくとも」という表現をするのは

必ずしも「説明会に参加した方に限る」ということではないからです。



とにかく、この夢ミーティングについて

実は前里から聞いていたある事実があります。


それは「そのうち記憶を持ったまま戻って来るようになる」


という事実。

誰がそうなるとか、いつそうなるとかはもちろん聞いてはないが

そうなることはほぼ確実だと考えられる。

そしてそれはSanからも伝えられていること。

「夢ミーティング」は私達の世界で言う「チューニング」であると言った。

私達はSanを目の前にする日が来る。

その日に向けて調整している。

チューニングしているということだ。

少しずつ慣らしているという表現が正確かも知れない。

そしてその過程で記憶を持ち帰るようになる。




ワクワクしますね♪




最初にも書きましたがその体験は誰でもする可能性がある。

この記事を読んでいるならなおさら。





そして

私はすでに奇妙な夢を2回体験している。

その内容の大半を忘れてしまったが

かすかに覚えている部分だけでも面白い体験だったので描写します。





そこは止まった世界。

というより自分以外には何も無い、誰もいないような世界。

周りは比較的白。

しかし霞むように人の姿が見える。

見える気がする。

自分がどこにいるのかはわかる。

コンビニにいる。

よく行くローソンにいる。

でも商品も人も実は目には見えない。

でもそこがローソンであることはわかる。

人がすれ違うのもわかるのだが

相手は自分の存在に気づかない。

こちらが異常に速いのか、周りが遅いのか

自分が止まっているのか周りが高速なのか

なんだかよく分からないが

そこが「夢の世界」であることだけは明確にわかる。


明確にわかるのだ。


一瞬戸惑うが、周りが自分に気づいていないということがたまらなく楽しくなり

いたずら心に火がつく。

「商品を棚から落としたらみんなビックリするだろう」

そう思った瞬間、目の前にペットボトルが現れる。

周りが霞んでいる分とてもとてもクリアに見える。

それも空中で中途半端に静止している。

浮いているというより止まっているのだ。

なんとも表現しがたい光景だった。

そしてそれを手で掴もうとするがなかなかすぐには掴めない。

でも「夢の中ではうまく走れない」というよく聞く話とは違う感覚。

なぜか「この世界での体の動きはこういうものだ」というのがわかる。

そしてペットボトルを掴み下に落とす。

しかし周りが驚いている様子はわからない。

そして横を見ると今度は全く別のものが静止している。

自分のTシャツだ。

きれいに広がったまま静止している。

そしてそこで気づくのが


「自分に体がない」ということ。


自分の手足は見えない。

でもあるという感覚はある。

ペットボトルを掴んだ感覚もある。

そしてしばらくその霞んだ白の世界で遊んでいたが

記憶はそこで途切れている。




ただ、目が覚めた瞬間は今までに一度もない感覚ですべてを覚えていた。

目覚めた直後も今も変わらない感覚として

「面白い世界に行ってきた」というのはしっかり残っている。


そして

「より現実に近い夢の世界」

「夢と現実の間のような世界」

「夢から現実の世界に手を伸ばしているような状態」

「夢と現実の薄い膜の前に立っている状態」

というような表現に限りなく近い感覚もずっと残っている。







しかし、この夢について実はわかっていることがある。

前里に話した時に教えてくれた。

前里は終始ニコニコしながら私の夢描写を聞き

最後に



この夢の正体は「本質の世界」だと言った。








それはどういうことか。

この世界には何も存在しないという事実をご存知の方は多いだろう。

本当は何も無いのだ。

自分以外には何も無く誰もいない。

自分しかない。

でもあると思った瞬間よりも速い瞬間でそれを創造している。

とにかくすべてを。

人もテーブルもパソコンも壁も建物も地面も空も

木も水もこの地球もこの宇宙ですら自分で創っている。

これがこの世界だ。






とにかく私が行った世界は初めは「無」だった。

そこからいろんなものを創造し、見て、触って楽しんだ。

いつも無意識にやっていることを、最初からやってみたということだ。

それはただただ楽しかった。

私は子供のようにはしゃいでいただけだった。

自分の創造性の元を体験し、常にそうしていることを再確認したような気分になった。

いや、「気分」ではなく実際それを体験したのだ。


「自分の創造性を使って遊ぶ」


常に当たり前にやっているそれをゼロからやってみた。

そこには、この現実にあるのは当たり前になっている

「負」に思えるものは一切存在しなかった。

それを創ることを忘れていたのだろう。


「創造性を使って遊ぶ」というシンプルな言葉は

時に複雑に聞こえるだろう。

しかし、必要のないものを創ることを忘れるほど楽しもうと決めた時

ここは子供のように無邪気にはしゃぐ世界であることを思い出す。


しかし、思い出すというのには少し違和感が出る。

決めた時点で最初から負が無い、

最初からただただはしゃぐ世界を創造するのだから

「あぁ そういえばそうだった!」などどいう感覚はありえない。



そして「創造性を使って遊ぶ」という言葉が

あなたにとって複雑なのかシンプルなのか。

それを決めるのもあなたである。






最初の話に戻すと「夢ミーティング」とは違う気がするかもしれない。

どのような形をミーティング(チューニング)と定義するのか、

それはさほど重要ではないが私はこう考えている。





「本質を知り、本質に近づく」





これは単純に自分が本質をすべて知っている存在になっていくこと。

Sanというすべてを知っている存在にに近づくこと。

それがチューニング。



だから、どのような形であなたが記憶を持ち帰るのかはわからない。

ただし、1つだけ伝えられるとすれば、








その夢は「とても奇妙な夢」になるだろう。











2つ目の夢についてはまた次回。

タイトルは「トレーニング」

お楽しみに













前里光秀研究所 川満由希夫




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