「基準外観念」 



「7本のリアリティ」というキーワードについて。

前回も書きましたが、今度は「観念」という視点から見てみる。



無数のリアリティを自由に選べるはずの私達が

7本のリアリティしか選べないという状況になっている。

それは私達が持っている「観念」が原因である。


「観念」とは私達が、「これ以外は絶対にない」と強く信じていることだ。


私達はリアリティが7つしかないと強く信じている・・・

もったいないような、そう信じてはいないような思いが上がってくる。

そして、「頭では分かっている」という声が聞こえてきそうだ。

そしたら「心で知る必要がある」と言われるだろうが、

実際は頭と心は一つである。

何か腑に落ちない感もあるが、そのことはSanもはっきり伝えてきた。



しかし「実際に無数のリアリティを見た」

「そしてその中からこのリアリティを選んだ」という記憶が無い中で、


「7つはある」


と強く信じ込んでいるというのも逆に面白い。

結局は「心では知っている」ということになる。

無数である前提がないと、「観念が原因で7つになっている」

という理解すら出来ないのだから。

実は「観念が…」というメッセージの中には

「あなた方は無数の選択肢があることを知っている」

という意味が込められていると思えてならない。

どちらにせよSanからはっきりとそう伝えられてはいるが。




そしてこのリアリティの話はもっと膨らんでいきます。

「私達が理解している7本のリアリティ、

そこに本気で入っていくかどうかが大切。

本気とは「歩く」ということ

そしてそれは行動するという意味ではなく

「指す」ということ。ただの「方向」であるということ。」



しかし私達には

「歩くのは大変だ、歩くには何かの観念を

通り超えなければいけないという観念がある」

とSanは伝えてきた。

ここでの「観念」は先ほどの「無数を7つにした観念」 

とはまた別のものだ。


しかし、この世界には実は観念は存在していない。

しかしそれでもなお私達のリアリティには観念が存在している。

「無い」ものを一生懸命「有る」ものにしているのだ。

なぜだろう…。



理由や原因を探ることもまったくそれと同じことだが、

ここではあえて「なぜ観念を有るものにするのか」

という「理由」を考えたい。

それが分かれば捨てることだって可能だろう。


そこに向き合うから捨てられないのだとSanに言われてしまいそうだが、

観念を「有るもの」にしている状態の私達なのだから

私はむしろ理由を探った方が早い気がする。



別にSanに対抗しているわけでないですよ。

ただ面白そうだからこう考えてみているだけです。

むしろ私は誰よりもSanと仲良しです。700年後も一緒にいますから。



話を戻します。



この理由について一真君の意見は

「生きる為」というのもひとつの理由である。

とのことでした。その定義、意味については一真君がブログに書きます。



しかし、生きる為というのが理由のひとつだと

私は腑に落ちない部分が出てきます。

私は一真君とは仲が悪いので対抗したいと思います。

おそらく700年後も一緒ではないので♪



生きる為というのなら必要なことです。

必要であればそのまま持ち続ければ良い。

確かにある一定基準内では生きる為に必要とも考えられる。

しかし、「歩くには何かの観念を通り超えなければいけない」

という部分は基準を超えている。基準外の本当に要らないものだと思う。

その部分、基準外について質問したにもかかわらず、

一真君からはさっきの答えが返ってきた。

だからもう聞かないことにする。


Sanもその基準外に関して、あっても良いというニュアンスで話してきたことはない。

あっては駄目だ!と言ったこともないが。



「あなた方はそれが大好きですね」

などとユーモアを交えて皮肉るような表現で笑わせてくれるが、

「基準外の観念があってうらやましい」とは言わない。

ただし、基準内の観念なら制限を体験できるという意味で

Sanからすれば「うらやましい」になるかも知れない。


とにかく基準外観念は

無い方が良いものであることは間違いないだろう。



でも有る。

有るものにしている。

やはり「理由」は他にあるはずだ。



なぜこれにこだわるかというと、

実はそこに集まったメンバーは

「そろそろそれを終わりにしたい」と思っているメンバーだと知ったからだ。


そろそろ終わりにしたい=終わらせることが出来る=要らない観念


でも実は書いていて分かった。

確かSanも別の言葉で言っていた。



理由は







ただただ「それを終わらせる体験」をしたいだけ。






結局は遊ぶ為である。









そして 2012年 9月22日 22時22分22秒
フルトランスチャネリング映像 公開。

あと、3時間。







前里光秀研究所 川満由希夫

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