「7本のリアリティ」 

前里光秀大学 フルトランス入学説明会



「ここは現実ですか?夢ですか?ドリームですか?
 隣ですか?前ですか?後ろですか?」



この言葉は「多次元」について問いかけています。

私達が多次元の存在であることをSanはユーモアを交えて伝えています。

夢も現実もただパラレルリアリティのひとつである。

隣、前、後ろというのは3次元の概念で伝わるように

あえて選んだ言葉なのでしょう。

実際はそういう物理的な位置関係は存在しない。

とにかくこの問いについて「思考する」ということが

多次元を再確認する方法のひとつなのかもしれません。




そしてこの後「7本のリアリティ」というキーワードが出てきました。

このリアリティに存在する私達は「7本のリアリティに触れている」

というメッセージ。

この言葉に違和感を持つ方も多くいると思います。



なぜか。



多次元の存在であるとSanは言いました。

そしてその事実は少なからず私達も知っています。

私個人の認識の中ではこうです。

「私達は無数の無限のリアリティを選択することができる」

実際にSanもそう言っていますし、

私個人というよりも、情報としてこの事実を知っている方は多い。

しかし、ここでは「7本」というとてもとても制限された数字が出ました。


どういうことか…?


私は思わず「少ない」と言いました。

無数と7ではあまりにも違いすぎると思ったからです。

それは誰でも感じることでしょう。




まずはこの「7本のリアリティ」について。

Sanの言葉。

「あなた方のリアリティには7本のエネルギーが存在している。
それはあなた方が7箇所の方面に行く可能性があるということ。
それもどこに行くかはすべて知っていて、すべて存在している」



私達のリアリティはすべて同時に存在しています。

だからここでいう7つのリアリティもすでに在り

私達はその7つすべてに片足を突っ込んでいるような状態。

そしてこの中で私が面白いと思うのは


「どこに行くかすべて知っている」という部分。


7になっている理由は「観念」が原因だということはSanが教えてくれた

無数を観念が7にしているのだと。

しかし、すでにどこに行くかすらわかっているなら

7に意味がないように思えるのは私だけだろうか。

その中の1をすでに決めているなら、

「もともとは7だった」

ということを教えているにすぎないと感じる。




「一体何を伝えたいのか」というポイントにおいて私はこう考えます。



それは「多次元」について。

やはりこのキーワードはある意味で軸であると思う。

だからいろんな角度からこのことを伝えているはずだ。

7と多次元について私が考えるのは

実は深い意味がないのではないかということ。

7という数字に意味がないとという意味ではなく、

ここで使う数字が7でなくともよかったのではないかということ。

それは、このメッセージ、この話の流れ自体にに意味があるということだ。


はじめに「多次元」を強烈に伝えたSanが

次に7という制限を使う。

そしてその中の1をすでに選んでいると言う。


「少ない」と思わず口にした私の中には

いつの間にか無数が広がっていたのだ。

7という制限に違和感を感じ、「そうではないはずだ」と強烈に思った。

「私達はもっと壮大な存在だ」と。

そしてそこにいたみなさんもそれを聞いている。



言葉のマジックのような、イタズラにひっかかったような捉え方になるかもしれない。

しかしそう感じたことに間違いはない。

そしてさらに1を選択済みだという。

それはある意味


「無数を自由に7に絞り、さらに自由に1を選んだ」


ということだ。

私達はいとも簡単にそれやっている、それができる存在であると言える。

要するに「すでにすべてを持っている」

ということを逆説的に伝えているだけではないか。





すこし角度をつけすぎた考え方かもしれないが

なぜかついそこに引き込まれてしまう。





とにかくSanのメッセージは面白い。






そして 2012年 9月22日 22時22分22秒
フルトランスチャネリング映像 公開。


前里光秀研究所 川満由希夫
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