僕は後日、この出来事を自分なりに考えてみました。
今回はそれを書いてみます。
僕はあの時「価値満タン」を知りました。
頭ではなく心で知りました。
豊かさに触れた瞬間でした。
それは素直に嬉しかったし感動した。
でも、手放しで喜んでしまいました。
「自分は価値満タンではない」
と公言したのです。
「たまには価値満タンになる」
という方がリアルかもしれません。
そして僕はこう考えます。
すでに前から持っていて毎日遊んでいるおもちゃを、
明日おもちゃ箱で見つけて大喜びするでしょうか。
まるでたった今プレゼントしてもらったかのように、
手放しで喜ぶでしょうか。
決してそうはならないはず。
元々自分が持っているものは、
たとえそのおもちゃが大好きで大好きでたまらない子供でも、
淡々と遊び始めるでしょう。
それをまるで初めてのように喜ぶとしたら、
「毎日遊んでいるはずのそのおもちゃを持っていなかった」
と勘違いした時くらいだと思います。
そんなことがあるのかどうかは別として。
私達は一人残らず「価値満タン」
どんな状態であろうと、その”状態”です。
それはすでに持っているおもちゃです。
確かに忘れているかもしれません。
でもそれは勘違いなのです。
忘れて遊んでいる。
なのに、元々そうであるのに
手放しで喜ぶということは、
そうではなかったかのように振舞うのと同じこと。
それは心からすれば
「そうではない」
になってしまう。
価値満タンで在り続けることは当たり前ではないと。
たまにそれに気づく程度でいいんだと。
実際には、価値満タンを使って
価値満タンとは思えない現実を創るということになる。
なんとも複雑だと思います。
元々持っているものは持っていて当たり前。
そのシンプルさが豊かな現実を創造するコツなのだと思います。
だから、その瞬間を体験した瞬間には是非、
これを心掛けてください。
「喜ばない」
- 関連記事
-