価値満タン体験vol.14  「空気が抜けた」 




「なぜ今日はこんな風になってしまったのか」


それは結局、僕が調子に乗ったからだということでした。

それは「喜び過ぎた」という意味でした。

前里はそれを「空気が抜けた」と表現しました。

しっかり学んで知った。

そして心が空気でいっぱいに満たされた状態でになった。

しかし、軽い喜びがそこに穴を開け、

そこから空気が抜けたんだ。


でもこれはあくまでも表現です。

心は常に満たされています。


そしてこんな話もしてくれました。


たとえばスポーツ選手によくある「スランプ」

それもこれと同じなんだと。

初めはどんどん調子良く上がっていく。

初めはしっかり自分を見つめ、

自分を磨くことを忘れないから。

心がそこに全力で向かっているから。


そしてある一定のところまで上昇すると、

無防備に喜んでしまうことがある。

その喜びは

「もうこれで十分だ」

「これ以上は要らない」

という表現でしかない。

それは練習をしなくなるということではありません。

でも、心は一旦休憩してしまう。


それで空気が抜けてしまう。

そうなると今まで通りやっていてもなかなか結果が出ない。

でも何が違っているのかわからない。

これまで以上に一生懸命やっても変わらない。

むしろ怪我をしてしまったりする。

それはせっかく積み上げてきたものを、

手放したような状態になっているから。

芯が抜けたような状態になっているから。

それを「スランプ」と言っている。

そして試行錯誤しながら、

がむしゃらにそれに向き合うことで、

また元の状態に戻っていくんだと。



でも決して「喜んではいけない」という意味ではありません。

じっくりゆっくり、心の深いところ、

腹の下の方で喜ぶものなんだと言いました。

そうすれば問題ないと。

あるスポーツ選手が派手に喜びを表現しないのは、

心がそれを知っているからなんだと。



僕はその逆をやりました。

簡単に喜びすぎて、

「もうこれでいいんだ」

と勝手に決めてしまったのです。

でもそれは”僕自身”が決めたことではありませんでした。

では誰が決めたのか。


それは”心”です。

心がそう決めたのです。

もちろん心も自分ですが、

”顕在意識”を自分自身とした場合の表現として、

心を他人のように書いています。

ともかく

これからが始まりであるにもかかわらず、

まるで長い道のりのゴールに辿り着いたかのように

僕は満足し尽くしてしまいました。

それは全力で

「もう十分です」

と公言しているようなもの。


そうなれば間違いなく、

心はそれ以上の現実をストップします。

1ミリのずれもなくリクエストに応えます。

そして空気が抜けたように、

現実がしぼんでいくのです。


「良からぬ芽」は、

単に下心から芽生えたものではありませんでした。

手放しで喜んだ瞬間、

さらにその奥に、下心の種が埋められたのでしょう。


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