5.夢からの目覚め 【 和田一真の告白 】 

フワフワとした全速力で走る私は、大声を上げて呼び出しました。「いつも最後は、これだ」。でも、いつもの手です。私が呼び出したその人が気づけば、すべてが終わることを知っていました。

その人とは、私自身。もう1人の私。うなされて寝ている、寝室の私。

「起きて!起きて!ねぇ、起きてよ!早く」。私の夢は、いつも私を起こすことで終わりました。

「私」が起きれば、夢は終わる。夢とはそういうものだと思っていました。新しい概念を知るまで、夢の世界は現実に近いものでした。意識や意図があるという意味で、とても近いものでした。

また、私にはもうひとつの夢から覚める方法がありました。

それは、家の1階と2階をつなぐ階段です。夢の終わりに、その階段を使いました。

薄暗い階段。私は、何度も何度も10段ほどある階段から飛び降りました。階段から飛び降りることで、夢は終わります。いつからそれをはじめたか憶えていませんが、地面に叩きつけられる前に「起きる」ことを知っていました。現実の私は、階段から飛び降りることで目覚めるのです。

数百回は飛び降りたであろう階段。一度も痛い経験はありませんでした。

しかし階段も慣れてくると、そうはいきません。飛び降りて終わったと思うと、次の瞬間にまた同じ振り出しに戻るのです。

目覚めた現実が夢だった。その繰り返しは、恐怖でした。私は恐怖を繰り返し、夢から起きづらくなっていきました。起きると、たいてい台所で朝ごはんの支度をする母親の元に駆けて行きました。

実はこのときの経験が、後に死後の世界を理解する上ではとても役に立ちました。人が輪廻を繰り返すという理論を直感的に理解したのは、夢で繰り返される階段がありました。

私の中で、飛び降りは自殺ではありませんでした。本当の私を覚醒させるためのひとつの手段でしかない。そういう認識だったのです。

また、その繰り返しのうちに、毎夜毎夜、寝小便も繰り返していたこともこっそり書いておきます。
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