2.身体に抱えていた空虚感 【 和田一真の告白 】 

生まれてからハイハイの時期が長く、なかなか立ち上がらなかったと聞きました。病院で検査もし、もう少し様子を見ようとなったと。立っちがはじまったのは、1歳半を過ぎていました。

ハイハイでの心肺機能の強化か、身体は健康でした。幼稚園のとき、2年間の皆勤をしました。1人で表彰されました。

極度の緊張屋でした。恥ずかしがり屋の上に緊張屋。そして気持ちも弱かったのです。

予防検診での注射待ちの列に並んでいるとき、2回ほど倒れました。興味本位で前の人が注射を打ったのを覗くと、目の前が真っ暗になったのです。

目が覚めて起きると空は天井。母親が迎えに来て2人で歩いて帰りました。

「見ていたら、気分が悪くなったの」

歩道はいつも草むら寄りに歩き、視線は常につま先でした。左右の歩く先を見ていました。そのリズムが永遠に続くと思うと、心配になりました。

歩くだけで、心配をしていたのです。

その頃の私は景色を見ず、足もとを見ていました。「ほら、見てごらん」。そう言われて、はじめて目線を上げたものです。

あまり前は見ないのに、ふと空を見上げるときもありました。そのときはいつも誰かの手を握っていました。なぜなら空を見上げると、身体が上昇して戻れなくなると思っていたからです。

それくらい自分の中に空虚を感じていました。何かあるはずの大切なものが詰まっていないのではと感じていました。

それは「心」と言ってもいいですが、人に冷たかったわけではありません。ただ、何かの決定的な実感がなかったのです。

それは言葉で表現できるものではありません。言いたいけど言い表せないこと。そういうことが、よくありました。

もちろん身体が上昇して戻れなくなるという、その心配が当たることはありませんでした。しかし起きないことを心配する性分は昔からでした。
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