無制限 

この記事の続きです 「選択肢」
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「私達はこの世界で制限を楽しんでいる」



それをもとに

この世界の矛盾と制限について考える。




無数の可能性・選択肢があることが逆に

この3次元の世界に生きる私達にとっては負担なのではないかという内容だが、

ある大きな視点から見れば、無数の選択肢すら制限の中にあるだろう。

しかし、今すぐその全容を把握する事が容易ではないのだから、

その範囲の中で模索するほうがスマートだ。



だから、「無数の可能性」とは一切の制限がないモノ。

「無制限」

として考えてみる。






「 制限」を楽しみに来たこの世界で「無制限」を目の前にしている状態を、

僕は矛盾と考えている。

人によってはそれを「苦しい」と表現すると。





しかし、少し視点を変えると、

「無制限」に自ら「制限」をかけることも楽しみの一つなのではないか。

とも思える。



この制限の世界に生まれるのは順番待ち。

ここは大人気の世界である。

もともと生まれる前に「制限の中に飛び込もう」

とワクワクしながら考えているのだから

「自ら制限をかけるゲーム」を用意していたとしてもおかしくはない。




仮にそうだとしたら、この世界での遊び方がまた面白くなる。




仕事を例にしたらわかりやすい。

ルールとして私達はこの世界にあるどんな仕事でもできる。

どの職業でも完璧にこなすことができる。

正確には完璧にこなしているリアリティが存在する。

そこに移るだけ、というのがシンプルな考え方だ。

さらに言うと実際はそのすべての仕事を今この瞬間も同時にこなしている。




しかし、私達の感覚として、最終的に選ぶのは一つであることがほとんど。

1つのリアリティですべての仕事をこなすのは不可能だ。

それにはすでに制限が入っている。

「無制限」は存在するが、その中から「選択する」という制限が入っている。

仕事という1つを例にしても、

やはり制限がある前提でこの世界に来ていることがわかる。




子供の頃はいろんな仕事を夢見るものだ。

しかしそれはどんどん少なくなる、選択肢が減ってくる。

要するに制限がかかってくる。

話の流れでいうと「選択肢を減らしている」「制限をかけている」になる。



その過程である人は悩み苦しみ、ある人は笑い楽しむ。



これが「自ら制限をかけるゲーム」なのであれば

もともと自分で用意したゲームに悩み苦しむのはおかしな話だ。

だから、もともと知っているはずのこのゲームの進め方を知れば

この世界の面白さがまた1つ分かるのではないだろうか。




「ゲームの進め方」




みなさんはどう考えますか?






前里光秀研究所 川満由希夫
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