※これは、ミツさんが体外離脱した先の世界から聞いた情報
をもとに作成した物語です!
内容については、過去のバックナンバーまたは
下記詳細をご覧くださいね。
『あなたにもある、ここではない現実』(表参道回顧録を読むにあたって)
http://maesatomituhide.blog.fc2.com/blog-entry-2369.html 『ミツさんとの出会い』(2008年5月、ライフライン体験記)
http://maesatomituhide.blog.fc2.com/blog-entry-2383.htmlミツさんにはじめて出会ったとき、
今考えてみれば、僕は人からバカにされていました。
「ビジョンが見えない」というのが、
出会う人、出会う人、多くの方が
「あなたは私の子どもだった」というような
ストーリーにつながっていたのですね。
そして、それを救ってくれたのがミツさんです。
なぜ僕にこんなことまで?というのは
ずーっと謎のままですが、
ミツさんから学んだ、例えば
体外離脱・透視・チャネリングによって、
大きく人生が変わったのは事実です。
「一真くんも、何も分からないという中でやってきて、
だんだんいろいろできるようになってきたよね?
それでも「まだまだ」って思うみたいだけど、
その気があって学んでいる途中で
でもまだゴールしていない。
その両方の緊張感があって、
走っている途中だけど
いろんな地点で
ゴールも何回も超えているんだよ。
常にゴールを超えているし、
またゴールを超えるし、
その挑戦を成功させる確信がありながら、
まだ会っていない自分に出会いたい
という好奇心のバランスかな。
それが、透視やチャネリングをするときに
そのまま作用するんだ。
結局ね、
「透視がうまい」「チャネリングがうまい」
というのは、「生き方がうまい」
「楽しむ気」を先にもってきて、
透視をするときに「何が見えるかな」
というワクワクが相手に伝わるんだよ。
人は、感動するから喜ぶのではなくて、
「喜ぶ気」に触れて、相手に伝わる。
だから、好奇心をもって
「なんだろう、なんだろう」という
気を入れているかどうかだよ。
ただね、これも理論でしかない。
それを一真くんのリアリティに落とすという、
それもまた気が必要なんだ。
今の話は、別の人のリアリティ。
別の人の使っている話を、
一真くんのものにするんだよ。
透視を学んでも、チャネリングを学んでも、
「伝える気」がなければ、その場所には行かない。
だから、伝えるフリで終わるのか、
伝える気なのか、それが分かれているんだ。
もっと言えば、透視やチャネリングができなくても、
相手に伝える気があれば、できるようになる。
できなくていいけども、
できるようになる。
気があれば、今はできなくても大丈夫だし、
気がなければ、今はできてもダメだとなるよ。
だから仕事でも、気の量だけを見ていて、
「思いも言葉もアイデアも、そんなものはいらない」
という話をするんだ、会社でね。
気がないと、本人がどうせ忘れていんだけど、
出す気がなかった証拠でもあるんだ。
一真くんも、経験があると思う。
もうひとつは、その気が長すぎて、
じっくりじっくり「気を溜める」ということも起こる。
気は、強すぎると見えない
という性質もあるからね。
でも、この時代―――2013年に入ってから、
それはすごく短くなってきていて、
ラッキーな体験がより多くできるという世界
に移っているんだよ。
だから、一真くん次第でもあるね。」
あのとき、ミツさんから教わった
ビジョンを見る方法を使って、
人の考えていることや可能性が
映像で見えるようになりました。
僕はそれまで、人のことを見るときに
その人そのものというのは、
ただ話していることがすべてだと思っていました。
それが、人には「心の声」というものがあって、
それは潜在イメージとしてビジョンになっている。
そして、その潜在イメージを超えた先に、
ガイドやハイヤーセルフの「高次の声」がある。
それを、知ったのです。
その深さは、次元を貫通する概念の理解でもあるし、
話の本質を捉えているかどうかの問題でもある。
だから、一瞬で「正しい」と聞こえるミツさんの話は、
体外離脱という能力を超えて、
いくつもの階層に響き渡っているような
エコーを感じていました。
それが、不思議だったのです。
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