1.甦る記憶 『表参道回顧録』 

あれから4年経ち
脳裏に突然、甦ってきた記憶。

もうすでに遠い昔のようであり、
また親しい友人にも似た好きな匂い。



もし、僕たちが過去を
「知っている」と定義するなら、

過去に生きている人たちにとって、
その人はハイアーセルフみたいなもの。

過去を、癒やしている。

ならば今、僕たちも
癒やされながら生きている。





「誰もが、誰かの
ハイアーセルフではないですか?」

「あなたも、未来からの声を
聞いたことありませんか?」

「別バージョンのあなたが、
どこかにいるのでは?」





きっと、僕たちはすでに
誰かを見守る存在となっていて、

そして、今も未来から
愛情を受けとりながら生きている。



あのときの自分に、伝えたい!
いや、今こそそれを受け取って生きるんだ!

どちらも、あるかもしれない。



それを伝える誰か、とは様々ではあるが、

どれもすごくすごく近い存在である
ことは間違いない。

ならば、その記憶や香り、ビジョンだって
すべて思い出せるはず。

未来の、記憶。





-----------------------------------------





2017年1月の現在、
その記憶は、4年前にある。

2013年3月から5日間に渡り、
渋谷の表参道で、「その人」と交流した。

その、記憶。



その人は沖縄で、
愛する家族と暮らしていた。

そして小さな
個別指導学習塾を経営していた。

小さな、と言ってもいろいろあるが

エレベーターもないアパートの5階から
はじまった塾というくらいだから、

そんなに的外れではないと思う。



その人は、1歳半で母親を亡くした
精神的ショックから、

何か「目に見えないもの」が
見えるようになったらしい。

亡くなった母親、亡くなった親戚のおじさん、
ときにはまったく知らない人。

つまり幽霊が見えた。



ただ、子どものころにそういった
「目に見えないもの」が見える子というのは

どのクラスにも1人くらいいたのでは
ないだろうか。

それが、大人まで
少し続いていたみたいだ。



だけどたぶん、ある程度は
普通の人だった。

それが、すでに塾を経営していた
20代の後半で大きく変わった。



それは、米国モンロー研究所の
ヘミシンクという音響技術が関係している。

その音楽をヘッドフォンで聞くと、
左右から微妙に周波数帯の違う音が流れ、

そのズレを脳で合成することで
通常では体験しにくい深い瞑想状態に入る。

そのときに、僕たちの肉体から
意識体が離れやすくなり、

うまくいくと体外離脱ができるという。



その人は幼少期からの
心霊体験の謎を確かめるべく、

2007年にヘミシンクを使った
ワークショップに参加した。

すると、すぐに体外離脱がはじまり、
亡くなった人と交流ができるようになった。

ただ、会うだけではなく
交流ができるようになった。

そう、例えば死者との対話だ。



挨拶をする、話をする、質問をする、
教えてもらう、案内してもらう。

体外離脱した先にも、
世界が広がっていたらしい。

その世界とは、この世界より
はるかに自由で、はるかに広いという。

ただ、「限界」もあるらしい。



また、その人は体外離脱しながら
生身の肉体では生きている人と会話をする。

さらには、意識の一部を
体外離脱して重なった「存在」と合わせ、

その存在の思考や想念を読み取り、

つまり意図を媒体として
言語で流すこともできる。

信じられないが、
そういうことができるらしい。

そしてそういう類いの技術を
「チャネリング」と言い、

多かれ少なかれ、実は人はそういう能力を
もっているという。



男の強さに憧れていた僕は、
高校のときに部活で武道を学び、

強い人には強い意識のかたちが
あることを知った。

それから、「意識」という目には見えない、
それでいて確実に存在するモノに興味をもち、

気がつくと、目に見えない世界に
大きく興味をもつようになった。



「あなたは、なぜこの世界に来たの?」



ヘミシンクのワークショップで知り合った
ある人から、言われたことがある。

それは、目に見えない世界が

何か普通の人生では辿り着かない
結論かのような言い方だった。

「いや、高校のときに武道をしていて…」

と話すと、不思議そうな顔で
覗き込まれた。

ただ、とても優しい人だった。



「悩みも希望もないけど、来ました」



そう言いたかったが、
特にそういうわけでもなかった。

でも、大きな理由もなかった。

ただ漠然と、なぜか分からないけど、
探しているものがあるような気がしていた。

それが、手に入るのではないかと、
あてもなく思っていた。



恐らく、誰にでもあるような
理由だったと思う。



そして僕がはじめてその人の存在を知ったのは、
2008年に米国モンロー研究所に行ったとき。

自由に世界を旅できるという
体外離脱現象の虜になっていた僕は、

わざわざアメリカまで行き、

体外離脱ができるという
ワークショップに参加した。

参加者は、みんな日本人。



しかし、そこではまわりの参加者ほど
期待した体験ができず、

「そんな簡単にいかないなぁ」
と、挫折もなく普通に思っていた。



そのとき、その人の話を聞いた。



夜、参加者のみんなでおしゃべりをしているとき、
ある人からこう言われた。

「あなたも知っていますか?彼のことを」

知りません、と答えると、

彼、つまり「その人」が体験した体外離脱体験の面白さを
細かく教えてくれた。

「いやぁ、あれは凄かったねぇ」

別の人も、そう言っていた。



そして僕に聞いてきた人は、

ぜひあなたも機会があったら一度会ってみるといい、
というようなことを言ってくれた。



何を感じたのか、よく覚えていない。

ただ、体外離脱などのヒントになるかもと思い、
会ってみたいと思うようになった。



それから数か月後。



日本で開催された
ヘミシンクのワークショップに参加したとき、

なんと同部屋にその人がいた。

そして幸運にも、そのはじまりから
1週間近く行動をともにし、

様々な場面でその人と
交流をもつことができた。

いきなり、1週間近くも。



そしてその1週間、僕は
1分に1回は死ぬほど驚いていたと思う。

その人の言うことに、
なぜかいちいち感動していた。

僕はよく人から騙されることが多かったが、
その声の重量から真実しか聞こえなかった。

なぜかよくは分からないが、
信じられないような話なのに、

真実だと感じた。



そして、その人が右に座ったときは、
気づいたら首が固まっていたくらい、

そちらを向いていた。



そこで聞いた、ヘミシンクで突然はじまった
見えない存在たちとの交流。

聞けば聞くほどマンガのような世界。

まるで生きている人と話すかのように
自在に会話する相手は、

目の前にいる人ではなく、
その人の後ろにいる高次元バージョン。

つまり、ハイアーセルフ。

守護霊、ガイド、
そんなに変わらない。



そして聞き出す情報は、
情報社会では検索できない情報群。

情報、情報、情報。

そんな情報を、

「こういうふうに言っていた」と
不思議そうに語るその人に、

僕は夢中になって質問をした。



その1週間近い時間は、

睡眠を忘れるほど交流をし、
睡眠なんてできないほど興奮していた。

何を聞いても答える知識…
知識ではなく叡智と言うべきか、

僕が出会って思ったこと、

「この人は、何度も人生を繰り返したに違いない」

そう思わされる
深い洞察があった。

少なくとも、僕の人生では

会ったことがないし、
本で読んだことがない深さだった。



そして、その人が僕にしたことと言えば、
「体外離脱をできるようにしたこと」

いや、その1週間が終わってから
またできなくなった時期を考えると、

一時期的に受けたインパクトが
そうさせたのかもしれない。



しかし、夢のような時間に感動し、
深く深く心に記憶されたことは間違いない。

そんな、時間だった。



時間はすぐに終わってしまったが、

記録したノートと記憶した身体と頭脳は、
冗談ではなくかなり詳細に渡って覚えていた。

それは、『ライフライン体験記』として
記録に残してある。

正確かどうかは分からないが、
とにかく今でも鮮明に思い出せる。





----------------------------------------------





それから5年後。



ある土曜日。

あの後、その人の家に遊びに行って以来、
久しぶりに、その人と会うことになった。

すでに東京に暮らしているという。

どうやら、沖縄の塾は残したまま、
東京で家族と暮らしているそうだ。



ちなみにこれは噂程度だったが、
「さらに能力が進化した」らしい。

あの時の衝撃を鮮明に覚えている僕にとって、
そこから先は同じような天文単位だ。

それでも、人の悩みを解決したり、
行方不明者の捜査に協力したり、

病気を癒したりすることは、

その人の人としての願いが
変わっていないことを示していた。



そして、その人は塾の先生だからか、

会うといつも僕に時間をつくって
いろいろ教えてくれる。

いろいろとは便利な言葉で、
本当にいろいろ教えてくれる。



なぜ僕にそうしてくれるのかは分からないが、
もしかしたら別リアリティで

さらに縁が深い人生を歩んでいることを
知っているからかもしれない。

僕がその人にしたことと言えば、
後ろから金魚のフン役をしただけだった。

それでも、何かを思って、
好意でそうしてくれた。



実際どうなのかは分からない。



それでも約束はしたわけで、
僕は約束の場所へと向かった。

五反田からタクシーに乗って、
その場所がある表参道へ向かった。
関連記事