「考える」という信仰心 


すべてがその中に存在していると言われる「時間」
「集中する」ことが「時間を大切にする」ことであり、
こなすのではなく、深めることでその先に行ける。

「集中する人は目立つし、応援される」とミツさんは言っていました。

「考えすぎはよくない」と言われるのは、
悶々と思い悩んでいる状態をさすのであり、
正しく「考える」というのは、
考察・改善・洞察、をすることです。

また、「考える」の中には「決める」という概念が入っているので、
「考える時間をつくったのだから、何かを決めなければ…」
と急かされるような感覚もあり、
心は「考える」から離れて、
なんとなく仕事や時間をこなしてしまうのかもしれません。

しかし、「集中すること」が「時間を大切にすること」であり、
こなすのではなく、深めることでその先に行けるならば、
「考える」こと自体が1つの信仰心であると言っても過言ではありません。
「考えすぎることがよくない」のではなくて、
「考えなさすぎる」ことが問題なんですね!

それでは隠れた欠陥が、いつまで経っても浮き彫りにならないわけです。
マーフィーの第5法則にも、
「自然界は絶えず、隠れた欠陥に加担する」とあります。
アイディアは出せても、なかなかタイミングがあわないんですね。

苦手なことにチャレンジしたり、
負荷がかかる状況に果敢に挑むことで、
人が成長し何かを得るのも、
ある種の危機的な状況、
その状況にあってはじめて「考える」が発動するからじゃないでしょうか。
深く深く「考える」ことで、
問題の原因を自分自身の中に発見して、
1個、改善策を打ち出せるかもしれません!

「考える」を鍛え上げることで、
この世界の王様である「時間」と、
手をつなぐことができるかもしれないんですね。

今自分の目の前にある課題は、
それがどんな種類のものであれ、
「考える」を促しているものだと思います。

「人を思うときに、遺影の写真を見るように思うのではなくて、
相手の彩りを上げるように思ってください」
とSANが言っていました。

「考える」を深めていった先で、
人の思いに敏感に気がついたり、
相手を喜ばせる具体的な方法がわかったり、
人の心とも、
密接につながることができるんだと思います!

「未来では、科学は進歩しすぎて、
自然の中に入っています。でも祈りは残っていました」
と、以前にミツさんが話していました。

「考える」という信仰心、
「なんとかしたい!」という執念にも似たような思いで、
混じりけなく考えていった先で、
それは祈りのように、未来を決定する力をもつものだと思います!






比嘉公彦
関連記事