他人を責める人は、普段は自分を責めていると、前里はよく話します。
自己否定=他人否定、となります。否定癖とは、とても根深いものです。
大半の場合それは無意識に、習慣的に行われるでしょう。
「自分が自覚していない」ということがとてもやっかいです。
それが癖であれ弱みであれ、自覚しているものは遅かれ早かれ、改善が可能です。
本人が自覚しているので、その気があれば改善していこうと務めるからです。
その意識の積み重ねの中でいずれ改善できるようになります。
しかし本人が自覚していないものは、本人が自覚していないので、
分析もなければ、修復や改善もないのです。それを持ったまま時間だけが過ぎます。
発見や気づきがない限り、ずっとそのループの中で暮らすことになります。
発見や気づきは、多くの場合人からの指摘によってもたらされます。
以外とまわりの人は、客観的に冷静に自分を見ているものです。
自分で自分を客観的に見れない理由の1つとして、
自分が見たくないもの、直視したくないものは、
潜在意識の奥に閉まっておくことができるという点があります。
それがどういう理由であれ、人に対しての怒りや嫉妬などは、
スタートはコンプレックスなど、自分に対しての否定だったりするのです。
他人を責める習慣があるということは、
それが、普段は自分を責めているという証処になります。
他人のことを責めるけど、自分のことは責めていない。
自分のことは責めているけど、他人のことは責めていない、
という人は存在しないでしょう。
自分の心を感じることができなければ、
人の心を感じることができない、と前里は言います。
他人に対して矢を飛ばしたくなる衝動にかられたら、
それは自己否定があるということに気づくチャンスです。
否定の先にあるものは否定です。
自己否定とは、文字通り、自分の可能性にフタをしてしまっているものです。
自分を否定する習慣を止める努力をしましょう。
それは自分の可能性をもっと広げて、いろいろな能力が目を覚ましてもいいという、
自分自身に対して許可を与えることにつながります。
比嘉公彦
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