まずは人を視るということに関して詳しくお伝えします。
http://maesatomituhide.blog.fc2.com/blog-entry-445.html↑ この記事の中にヒントがあります。
「それも胸のあたりがごっそり無くなった感じがする」↑ この言葉にヒントがあります。
心が胸のあたりにあるような感覚は誰でも感じたことがあると思います。
もちろんないのですが、あるように創ることが可能です。
どうやって創っているのか・・・
それは、自分を視ようとするときに創られます。
人間は人より自分のことを考えます。
特に迷っている時などは、
「大丈夫かな?」「間違ってるんじゃないかな?」
「失敗したらどうしよう」「評価が下がるかも・・・」
要するに不安がある状態というのは、
自分だけに意識が向いている状態。
意識の矢印が、心があるような場所(胸)に無数に向いている。
だから、胸のあたりが苦しくなったり締め付けられるような感覚になったりする。
不安のかたまりがどんどん詰め込まれているような・・・
重くなっていくような・・・
だから、「気が重い」という言葉がある。
これが自分のことだけを思っている状態であり、
人を視ることができていない状態。
ではその逆とは?
ここでさっきのヒントです。
「それも胸のあたりがごっそり無くなった感じがする」
ごっそりなくなった感じがするというのは、
矢印が向かなくなったということです。
不安がない状態。
なぜ不安がなくなったのか。
それでは矢印はどこに向いたのか。
もうお分かりですね。
「矢印は人に向いている」
これを、「人を視る」と言っています。
人が何を考えているのか。
人が何を求めているのか。
目の前の人はどんな人なのか。
目の前の人は何をすれば笑うのか。
人は何に困っているのか。
人は何に悩んでいるのか。
その悩みを自分はどうやったら解決できるだろう。
その悩みの原因はなんだろう。
目の前の人はなぜ嬉しそうなのか。
目の前の人がもっと嬉しそうになるために何ができるだろう。
人、人、人。
まだまだ足りないかもしれません。
これが人を視ている状態であり、
矢印が自分に向いていない状態であり、
不安がない状態であり、
幸せな状態。
「自分を知る方法」
繰り返します。
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「人」というのは「自分」で構成されています。
「材料が自分」という表現でもいいかもしれません。
自分が創っている現実、生み出している現実の登場人物は、
自分の中にあるものでしか創ることができない。
分身です。
だから、人を視るということは、
自分を視ることと同じです。
人を知ろうとすればするほど、
自分を知ることになっている。
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それがなぜ価値満タンで高エネルギーなのか。
つづく。
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