[数年前のある二人の会話]
U
「問題は、あなたが自身が一番何を知りたがっているかを
知らないことじゃないですか?」
P
「知りたいことはあります!」
「たとえば、どうやったら成功できるのか、
どうやったら幸せになるのか」
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それを知っても、そうはならない。
なぜなら、その方法はすでにたくさんの本に書かれているし、
ネットで検索すればいくらでも出てくる。
それをあなたは既に読んでいるし見ている、
要するに知っている。
なのに、なぜそれを知りたいと思うのか?
それは、それが本当に知りたいことではないからです。
一番ではないからです。
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質問です。
U
「成功したいのは誰ですか?」
「幸せになりたいのは誰ですか?」
P
「私です・・・自分です」
U
「それでは、自分を成功させるのは誰ですか・?」
「自分を幸せにするのは誰ですか?」
P
「・・・自分?です」
U
「そうです!正解です!」
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人は自分で自分を成功させます。
黙って何もせずにぼーっとしていても、
誰かがあなたを成功させることはない。
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U
「それがわかった上で再度質問です。」
「あなたはどんな人ですか?」
「あなたは何がしたい人ですか?」
「あなたは何ができる人ですか?」
「あなたの目的はなんですか?」
「Pさん・・・ あなたは、誰ですか?」
P
「・・・わからない・・・ 知りません」
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「自分がどんな人か」
「自分が何をしたい人か」
「自分が何をできる人か」
「自分が何を目的にしている人か」
それがよくわからないのに、自分以外のものに価値をおいて、
自分以外のものだけに詳しくなっている。
だけど、それを使う自分のことを知らない。
要するに「自分の使い方」を知らないということです。
だからあなたが一番知りたいのは、
「○○のこと」 → 「自分のこと」
「自分の使い方」です。
だから、「自分のトリセツ」が必要。
「自分取扱説明書」です。
それがあればこういう理屈が通ります。
自分を知る = 自分の使い方を知る = 現実の製造元を知る = 現実の創り方を知る
しかし、自分を知る方法とはなんでしょうか?
つづく。
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