昨日の朝のこと。
用があったのである場所に向かっている途中、
ゴミ捨て場のゴミが散らかっているのを発見。
「片付けよう」
と思ったが、用を済ませてゴミ捨て場に戻るまで10分もかからない。
「先に
用を済ませてから帰りに片付けよう」
そう思って歩き出す。
しかし、そこは人通りがまったくないわけではない。
「戻る前にだれか片付けるかもしれない。 どうしよう・・・」
「それは
なんか嫌だな・・・」
と思いながら
後回しに。
そして予想通り、10分も経たずに戻ったのに、
ゴミはキレイに片付いていました(>_<)
「黄色文字の解説」・「用を済ませてから」※人はそうやって外部要因に負けてしまう。
要するに「今じゃない」という言い訳をする。
・「なんか嫌だな」※明確な自分の意思、感情さえも無視してしまいます。
「自分の価値」を認められない。
・「後回し」※今すぐ幸せになる事への恐怖です。
なぜ幸せが怖いのか・・・?
身近に幸せな人がいない→幸せがどんなものか知らない
→知らないものは怖い。 という方程式がある。
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「
チャンスを逃している」
リアリティは
心の反映で、リアリティは
メッセージの宝庫。
リアリティは
生きるヒントです。
いつもそう。
常にそう。
物事は、出来事は、出会いは、すべて
「旬」「生(ナマ)の生き物です」「いつか」「今度」はないのです。
目の前に悲しそうな人がいたら、
その時笑ってもらう。
目の前に嬉しそうな人がいたら、
その時一緒に笑う。目の前に仕事があったら、
その時やる。目の前に映るやるべきことすべては、
「その時やる」「今今今」「チャンス」も同じです。
今の一瞬に目の前に在る
「旬のチャンス」は、
今掴まないと
スーっと消える。
というよりも、
他の誰かが持っていきます。チャンスは
巡回しています。
選ぶのは
僕たちではなく、
「チャンス」「チャンスが人を選んでいます。」それが目の前に映るということは、
選ばれたということです。
それを掴まないということは、
「チャンスお断り!」と突き返した状態。
「セールス断り!」みたいな・・・
でもチャンスは
なくなりません。次の誰かを選ぶだけです。
「人に取られたから悔しい」
ではない。
「チャンス」からすれば、
「断られちゃった、まぁでも次に行こっ (^O^)/」という感じ。
それもそのはず、
「チャンス」の発信元は、
宇宙です。だから、
選択権は宇宙にあります。
壮大な宇宙は、
細かいことは考えない。
出した→取らなかった→次の人へクールだけど、
「人の役に立つこと」=「チャンス」なので、
捨てるはずがないですね。
必ず
誰かの手に渡るまで巡回させます。
それが多くの
みんなのためになるわけですから。
だけど・・・
実はこれは誰にでも適応する話・・・
では
ありません。ある
映画のセリフが印象的でした。
「チャンスは
目の前に来た。だけど、そのドアを開けるのは
自分」
そう、
「チャンスに気づく目」を持っている人の話です。
だけど、そのことに人として
良い悪いは一切ありません。
だけど、その目がないと、この世界では
自由がありません。そして
「気づく目」には
レベルがあります。
わかりやすい
「大きさ」だけ気づく目。
どんなに
「小さく」ても気づく目。
実際は
「小さい」ほど
「大きな」チャンスです。
誰も「気づかない」わけですから、
貴重なのです。
その分、
多くの人の力になる。
つづく・・・
ゆきぃでした!
またね(^-^)/
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