僕たちはそんな非日常に憧れを抱き続けている。 

場が持つ融合感と分裂感が、
同時に存在し入り混じることで、
ひとりひとりにパワーを注いだように感じました。
まさに「特殊」部隊の「場」
特殊でした。

非日常は思ったよりも気軽に訪れるもので、
びっくり!する間もないまま没頭時間を過ごす結果になる。
約3年ぶりの「特殊部隊学校 NEAR」
前里光秀グループの社員研修のことです。

威力が増していたのは言うまでもない。
社員の数は倍以上になり、
さらに社員ではない方までもそこにいる。
「なんだこれは?」
イカニモ前里光秀らしいと言えるその発想で、
僕らの日常は「様変わり連続」
それは、
「いつも、時代の波を壊す意味があった」
と表現した前里の言葉に間違いがないと確信できる、
「大きさ」だったと言える。

僕たちはそんな非日常に憧れを抱き続けている。

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「他社の社員研修を見る」
という特殊な出来事は、内にも外にもパワーを与える。
リアルに言えば、多少、いや完全に「良く見せる」はずだ。
というよりも、この社員研修が決定した時点で、
社員の心の中には「その感情」が確実にあった。

嘘と表現するには大げさで、
真実と言うには幻想に近い気持ちの状態。
だから、「ある程度はうまくやるのかもな」
と思っていたのです。
だって、個人ですらなかなかそれを見せないのに、
企業がそれを見せるなんて、リスクでしかない。
「非常識!」
あるラインまでは「隠し事」として認定はされないだろうし、
それを責める誰かもいないだろう。
「一般的」と言える共通認識が、許してくれる。
だから、誰もがすべてをさらけ出さずとも、
うしろめたさを持たず、快適に生きていける。
この社員研修も、「その中」で行われると思っていたのです。
僕だけではないはず。
社員以外の「みなさん」もそう思っていたはずです。

だけど、うちの代表は、
「ヒヤリ」とすることしか言わない。

「あぁ やっぱりそういくんだ」

と、多少は予想できた未来が、今始まっている。
「そうなると覚悟は決まるものですね」
「没頭する」以外の選択肢が用意されていなかったことを再確認した時、
焦りよりも「ワクワク♪」した僕は、
それを最初の記憶として社員研修に
「挑み」
ました。

僕にはある思いがあり、
その思いが視界をクリアにしたのでしょう。
普段なら飲み込まれるであろうその状況下で、
「やるべきこと」と「前里の意図」のリンクを知りました。

それは
「リスクに勝る領域」であり、
「集合を超えた感覚に溺れる世界」であった。

ああいう場所は「特殊」です。
偶然のように出来上がった必然だったからこそ、
僕たちは魅了された。
それを創り出したのは紛れもなく前里光秀だが、
僕たちは、ただただ前里の「意図」に乗っかったのではない。
その「乗り方」は自分のやり方であり、
自分の才能です。
僕たちは常に引き出してもらうのではなく、
そのきっかけだけが常に目の前に在る。
それを嗅ぎつける嗅覚と、
もともと自分が持っている才能を使った時、
「引き出してもらった」
と勘違いしているのです。

そうである方が、後々の責任感から逃げることができるから、
逆パターンの「他人のせい」を利用しているだけでもある。

-話を戻します-

緊張感には、毒ではなく栄養的要素がある。
まるで「鑑賞」されるように始まった社員研修は、
その緊張感を栄養素にしていた部分もあります。
人間らしさを保つ心の真反対側に、
それを強烈に粉砕しそうな「人」がいる。
その狭間の世界は、無駄なコントロールを解除してしまうほどだ。
それは好都合。

人は思いのほか器用だし、頭が良い。
だけど、多くは中途半端だ。
だから多くの場合それが「余計なもの」になる。
それが解除されるなら好都合なのです。
ある種あきらめのようなその感覚は、
人を無抵抗にさせる。
もともと前里は攻撃を目的としていないのだから、
無抵抗である方が「入りやすい」はずです。

「混乱は時に最高の学びを導くものです。」

前里はそうしていく中で、
力いっぱいの思いを僕たちの中に注ぎ込んできた。
そして、始まりは塊のようだった僕たちは、
徐々にその「社員研修」にのめり込み、「変わって」いった。

あそこまでの場の管理は、
正直、世界的にみても誰もできないのではないかと思えた。
なぜそこまで言えるのか。
それは、そこにいた

「社員以外の特殊なみなさん」

にもその作用が働いたからです。
途中からです。

今回参加したみなさんは、
「参加者」でありながら「社員」でした。
社員の疑似体験をしていたのです。
正確には、最高管理者であった前里自身が、
「そのつもり」であの場にいた。
ここにいる全員が前里光秀グループの社員であると。
(おそらくあの可愛らしい2歳の男の子のことも♥)
そして社員である僕達もいつの間にか「そのつもり」だった。
そこは、集合を超えた場所であり、
超疑似体験の先に在る世界。
もはや、見る見られるの構図自体が、
「忘れる」という名のもとに崩壊してしまったのです。
意識的にどれだけそれを感じたのかは重要ではない。
その場に居続けたのであれば、
それがそうであった結果だったのです。

「前里光秀グループの社員疑似体験は素晴らしい!」
と自慢したいのではなく、
それを活用して、強烈なまでに届ける!
という行為があったことを「すごい!」と言いたいのです。

受動と能動のぎりぎりラインを、
ずっとキープしていた「特殊なみなさん」は、
その負荷のような、そよ風のような感覚のループを
忘れてほしくない。
なぜなら、それが無抵抗感であり、
フラットな状態だからです。

どの方向にも瞬時に動き出せる「状態」という意味です。

「心をもみくちゃにしたから、そうなった」
のかもしれません。
そこにいたすべての僕たちは、何から何を得たのだろう。
ふと考えた瞬間に、もし何も浮かばないのであれば
それはそれで正解と言える。
なぜなら「僕がそのすべてをそうだと決めた!」瞬間から、
出来事はリアリティに溶けはじめるのだから。
フラットだからこそなおさら良い。

何もない空間に、好きなものをだけを並べる少女のように、
無邪気がいい。
僕たちはそんな非日常に憧れを抱き続けている。
だけど、非日常は日常の中にしかないという事実が、
僕たちの心を揺るがすのかもしれません。

だから特殊部隊という響きに心地良さを感じて、
今度はいつだ?と考えて、
誰に会えるか楽しみになってしまう。




川満由希夫
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