圧倒的な経営者の習慣を考えてみよう!  vol_2 

「聞く」ってなんだろう?



今回は本当の「議論」をするために必要な姿勢である
「聞く」について自身と経営者の「差」をあらためて考えてみました。



聞くとは
「話し返すまで」が聞いたという定義






例えば、

 Aさん「●●ってこう思うのだけどそれについてどう思う?」

 Bさん「なるほど!
      ●●についてですが、自身はと思っていたのですが、
      それは自分の経験の▲▲があって●●があってこうだから
      ××だということだったのですね」

 Aさん「そう、そういうこと!! じゃあさ…」



というふうに、どこかで自分の考えを
相手に返さなければ「話し返す」にはならない。

「うん」「うん、うん」「なるほどー」と
相槌を打つだけでは聞いたことにはならない。

相槌を打つことは大切。
でも自分の考えを相手に返して初めて「聞く」になる。





「聞く」という一連のプロセスは

 「聞く」⇒「感じる」⇒「自身の中に考えや思いが生まれる」⇒「話し返す」

と表現することもできる。



ここで重要だと思うのは、「感じる」ということ。

「感じる」とは「思いをはせる」、
相手と一つになる、近づこうとする行為。

相手の思いや考えを入れ、
自身の中から湧き上がる思いを見つけること。



だからこそ、感じないでただ過去の知識を話をしたり、
意図や意志なく言いたいことを一方的に相手にぶちまけたりしたら。。。

それは話し返すということにはならない。
それは「相手の不在」だから。

かといって、ただ「うん、うん」「なるほど~」だけを
ずっと相手に返して聞いている風になることも違う。

それは風であって聞いているにはならない。
それも「相手の不在」。





例えば、よくありそうな会話の場面

 Aさん「創造のしくみで●●のところがとても面白くて
      ▲▲ということがわかったんだ」

 Bさん「へーそうなんだ」

 Aさん「だから■■のようにしてみたいと思うのだけど、どうかな?」

 Bさん「なるほどー」

 ~5時間後~

 Aさん「で、Bさんにはこういうところがあるから
      ●●を変えたらいいと思けどどうかな?」

 Bさん「うんうん、それすごいね~」

 Aさん「………(はぁ。。。。)」



そんなさびしいことをもし自分がやっているとしたら。。。

もしくは、一方的にしゃべるだけ
しゃべってすっきりしている自分がいたりしませんか?

どちらも相手を一人ぼっちにしているとてもさみしい行為。

それは相手に対して「無関心」な自分を表現していること。





「聞く」ことに対して
「相手の不在」をやっているかもしれないと考えてみたとき、

「聞く」ということに「人に対する性格」、
「人に対する考え方」が表れているということになる。




ここで恐ろしいのは、本人のクセであるということ。

人に対する性格、人に対する自分の考え方は
どれだけ矯正しようとしてもほぼ直らないと考えてみたときどうするか?

もし自分がそれをできていないと考えたとき、
直そうと頑張るか、それともあきらめるか?

どうしますか?



そこで必要になるのは「成果」。

目の前にある現実を冷静に見る目と成果にこだわる意思。



「聞く」の成果とは、
目の前に「話し返す」ということ。



その成果がなければ、
話している目の前の人は「ひとりぼっち」と考えたとき、

あなたは目の前の人を一人ぼっちにしますか?
それとも?



それをどう思うか?
それが自身の性格を変えるきっかけになるかもしれません。

相手を思う、思いをはせる。
相手をひとりにしない。
人への思い。










聞くという行為一つに対しても
その人の生き方、人生観がにじみ出ていると考えたとき、
自身はどう生きたいか?

それを考え、忘れず、線を立てて生きているのが
圧倒的な人たちの生き方の一つなのかもしれない。



さてあなたはどう生きたいですか?と問われた時、どうしますか?



ちなみに私は、それはもちろん!!









岸原 万梨子
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