受動的に
生きる癖がついた多くの僕たちは、
無意識に
「負け」を認めているのです。
心の奥の作用として「負け」であって、
目の前に起こることは単純に
「変わらない」と見える現実。それが第3者からは
「超無関心人間」に見える。
この場合の
「受動的在り方」とは、とにかく
不都合極まりないことなのです。
だから
「参加」が大切。
「能動的」とは言わずに「参加」と言います。
すべてに参加しているからこそ此処に在る
僕たちが、
たまに、
不参加のような態度を取るからよく分からなくなる。
「複雑になり、分からなくなる」だから、その
逆の
「シンプルになり、分かるようになる」には
「不参加」の
逆の
「参加」を選べばいいのです。
それでは「参加」とはなんでしょうか?正しい定義はもちろんありますが、
ここでの
定義は3つ
一緒に「話す」
一緒に「笑う」
一緒に「考える」
一緒に
「話す笑う考える。」ただそれだけです。
「そんなこと当たり前にやってるよ」という声もありそうですが、
本当にそうでしょうか?会社、家族、友人、恋人、学校…
さまざまな
「場」に
表面上参加している僕たちは
本当にそれを
「簡単だ!」と思えているのでしょうか?
もしかしたら、あなたの近くにはいつも、
「空気管理人」がいるかもしれない。
常に常に
場のバランスを取っている空気管理人がいるかもしれない。
その管理下で
「そのつもり」になっているかもしれない。
「見えないこと」だけをこっそりとやる空気管理人がやっていることは、
「見えない」のでわからない。
「見よう」と思っても見えない。空気管理人とは
「参加者」のことなので、
その場合あなたは
「不参加者」に
認定されている可能性が高い。
その
認定を解除するには
「参加する」しか方法はない。
「見える」ようになる方法もそれだ。
「参加者」のメリットとは何か。参加者は
リーダーです。
常にリーダー。
でも、
人をまとめるという意味合いのリーダーというよりは、
もう少し強めの意味合いの、
自分で創り動かすというリーダー。
僕たちのすべてはもともと
「そうやって」この
現実に
暮らしていますね。
スピリチュアルな
意味でのことです。
だから、参加者は
「よりわかる」し
「創りやすい」し
「楽」なのです。
現実を自分の手の中に握っている感がある。「いざ!」という時も
力を発揮できるし、
その
用意が常にされている状態です。
なんだか参加者って
ラッキーですね。
自分を変えたい!
人生を変えたい!
そう思うことの多い僕たちは、その方法を
探し続けているのかもしれません。
だけど、「参加」「不参加」の
選択肢が分かりやすく用意されていて、
その
2つのうちの1つである
「参加」を選択することが、
数ある方法の
1つだとしたら、それはすぐ
目の前にあることです。
どの
瞬間もその
選択肢が目の前から消えることがないのだから、
「このチャンスには切れ目がない。」そういう
「場」に、僕たちは
必ずいる。
実は
それ自体ラッキーなことかもしれません。
もちろんそれに
気づければの話です。
だから、まずは
事実を知る。「不参加者」であるかどうかを知らないと、
「参加しよう」とは思えない。
あなたは、どっち?川満由希夫
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