「参加者」で生きるメリット vol.1 




受動的生きる癖がついた多くの僕たちは、
無意識に「負け」を認めているのです。



心のの作用として「負け」であって、
目の前に起こることは単純に「変わらない」と見える現実。



それが第3者からは「超無関心人間」に見える。



この場合の「受動的在り方」とは、とにかく不都合極まりないことなのです。







だから「参加」が大切。
「能動的」とは言わずに「参加」と言います。




すべてに参加しているからこそ此処に在る僕たちが、
たまに、不参加のような態度を取るからよく分からなくなる。


「複雑になり、分からなくなる」

だから、その

シンプルになり、分かるようになる」には


「不参加」「参加」を選べばいいのです。






それでは「参加」とはなんでしょうか?






正しい定義はもちろんありますが、
ここでの定義は



一緒に「話す」
一緒に「笑う」
一緒に「考える」



一緒に「話す笑う考える。」



ただそれだけです。







「そんなこと当たり前にやってるよ」


という声もありそうですが、本当にそうでしょうか?



会社、家族、友人、恋人、学校… 

さまざまな「場」表面上参加している僕たちは

本当にそれを「簡単!」と思えているのでしょうか?




もしかしたら、あなたの近くにはいつも、
空気管理人」がいるかもしれない。

常に常に場のバランスを取っている空気管理人がいるかもしれない。

その管理下で「そのつもり」になっているかもしれない。


「見えないこと」だけをこっそりとやる空気管理人がやっていることは、


「見えない」のでわからない。
「見よう」と思っても見えない。



空気管理人とは加者」のことなので、
その場合あなたは「不参加者」認定されている可能性が高い。

その認定を解除するには「参加する」しか方法はない。
「見える」ようになる方法もそれだ。




「参加者」のメリットとは何か。




参加者はリーダーです。
にリーダー。

でも、人をまとめるという意味合いのリーダーというよりは、
もう少し強めの意味合いの、自分で創り動かすというリーダー。


僕たちのすべてはもともと「そうやって」この現実暮らしていますね。
ピリチュアル意味でのことです。


だから、参加者は「よりわかる」「創りやすい」「楽」なのです。


現実を自分の手の中握っている感がある。


「いざ!」という時も力を発揮できるし、
その用意が常にされている状態です。



なんだか参加者ってラッキーですね。



自分を変えたい!
人生を変えたい!



そう思うことの多い僕たちは、その方法を探し続けているのかもしれません。

だけど、「参加」「不参加」の選択肢が分かりやすく用意されていて、

その2つのうちの1つである「参加」を選択することが、
数ある方法の1つだとしたら、それはすぐ目の前にあることです。
どのもその選択肢が目の前から消えることがないのだから、



「このチャンスには切れ目がない。」



そういう「場」に、僕たちは必ずいる。


実はそれ自体ラッキーなことかもしれません。

もちろんそれに気づければの話です。


だから、まずは実を知る。

「不参加者」であるかどうかを知らないと、「参加しよう」とは思えない。







あなたは、っち?










川満由希夫
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