「変化とは止まることだ!」 「変化」と
「止まる」は真逆過ぎて、一瞬「ん…?」ってなるか、
「気を引くために装飾された言葉」のように感じるかもしれません。
しかし、そうではなくいたって
真面目に
「そう思う」のです。
-イメージしてください-
流れの急な
川がある。
Aは
激流の中にいて、
Bは川岸に立っている。
Aが見ている世界は…
上下左右もわからない。
空が見えたかと思えば川底が目の前にあり、
川岸の景色は
一瞬たりとも同じではない。それはもう目まぐるしい
変化変化変化。上流から下流へと、自分の居場所も
常に変化している。
川岸に立っている
Bのことが一瞬だけ目に入ったが、
一瞬過ぎて気にも留めなかった。
最高級?のライフベストを装着している
Aは、
決して溺れているわけではないのでそれを
楽しんでいる。 「変化を楽しんでいる♪」 速い世界にいる。
一方
Bは…
川岸に立ち、動かず、見ている。 周りの景色を、空気を、水の動きを。
そして、変化変化変化の
激流を。
上流から流れてきて、下流へ流れていく…
Aを。
「止まって、見ている」 まずは
A。
変化を体験していることは
間違いない。 良いと思います。
人生がどんどん
変わっています。
それもわかりやすく「良い」と言われる方に変わっている。
その
スピードは速くて、
目立つ。周りからも
「変わった!」とよく言われます。
だからなおさら「楽しい♪」
「変わった」という
言葉を原動力に、
さらにどんどん変わっていきます。
そしてそのうち、
変化の代名詞のように言われる。
その
「変化感」は、周りにも刺激を与えるほどです。
やはり、良いと思います。
そして
Bは…
結論から言うと、
Aよりも
「変化」している。
止まっているが、
変化しています。
でも、
Aからはそう見えない。
正確には、
「よくわからない」2人の
立ち位置がそれをわかりやすく語ります。
激流を目まぐるしく流れているAからは、
Bは
一瞬しか見えない。川岸に人が立っていた…
ような気がするという程度しか見えていない。
だから、
Bがどんな状況にいるのか
把握できない。
「よくわからない」ということになる。
一方
Bは、
すべてを見ている。ゆっくり変化する空の
雲の動きも、
一瞬たりとも原形をとどめない
水の変化も、
目まぐるしく流れ行く、
Aの様子も。
Bは、
世の中や、
人や、
場の状況の「変化」を
ジッと見ている。
「見ることができる」これは
強力な「力」です。
そして実はそれこそが
「変化の定義」
変化している人とは
変化できることを当然知っていながら、
「変化」をコントロール下に置いている人のことを言います。
多くの
Aは、
Bが変化しているようには見えないと言うよりも、
「何をしているかわからない」のです。
Aの体験は、実際には「変化」です。
確実に
人生に変化が起きている。しかしこれは、
"変化優先型変化"です。
「変化」の
コントロール下に「自分」がいる状態。だから、
生きている! 感が薄い。
薄いことにも
気づいていない。「なんか… もっとイイ感じになるはずなんだけどなぁ」これが
Aの思いです。
それもこの状態は
予想以上に長く続きます。
川は基本的に
「長い」ものですよね。
だけど、
Aにも結末が訪れる。
-それはこんな感じ-川は激流だ。しかし、下流になるにつれて
緩やかになっていく。
Aはその緩やかさの中で、初めて周りをじっくり
見始める。空を景色を、
自分の居場所を…そして、
Bの存在を。
Bはゆっくり歩いて
下流まで来てくれていた。
川と海の境目に
流れはほとんどなく、Aはゆっくり泳いで
Bのいる
川岸に向かう。
そして、
上がる。「上がる」その時、
生まれて初めて
Bが見ていた景色を見て、
変化とは「なにか」を知る。
そして、
「良かった」と笑いながら
握手をし、
なんとなく川に
目線を落とした時…自分以外の
たくさんのAの存在に気づいて驚きました。
今度はふと目線を上げ
川の向こう岸を見た時、
「さらにたくさんのCの存在に気づいた!」つづく
川満由希夫
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