肉なしのBBQ vol.1 

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思考の回転や行動の迅速さ。
それらが見せるものは、確かに「変化感」に溢れていて、
人を魅了する。


テンポ、リズムの速さこそが「流れ」であり、
わかりやすい変化の定義なのかもしれません。

僕たちは、そんな人に憧れて、そんな人生を素敵だと思います。


多くの人が人生の大半の時間を使う「仕事」
その仕事が「速い」=「できる」という思いもあります。

とにかく

「変化」は「速い」
「速い」は「良い」



それが多くの方の考え方だと思います。



だから、変化という言葉は魅力的であり、
人は変化の代名詞のようになりたいと考えるのかもしれません。




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人が人を見て「変化している人」と定義するのはどんな時だろうか。
単純に「以前とは違う」と認識した時です。


それは見た目のことでもあり、能力的なことでもある。
経済的な違いや、生活環境の向上などもそれに含まれる。


そういういくつかを「変化」と認識する。



実は、「わかりやすさ」邪魔されたその認識は、
「変化の"真"」を知り、それを手に取りじっくり眺めることを妨げている。



変化を本当に「見る」ことは、そういうことではないはずです。
どちらかといえば、「見る」より「感じる」方が,
正確なそれを「見る」ことができる。



「わかりやすい」ことは、
良くもありながら「浅い」という弱点を含む場合もあるのです。



ただし、その違いは難しい。
何が「真」で何が「浅い」のかは難しい


その見極めは、わかる人に聞くのが一番「速い」と僕は思います。


前里光秀という人が近くにいる「僕」だからそう思えるのかもしれません。





でも、なぜ「浅い認識」を選択してしまうのか…



それは、「自分にはできない」という強すぎる勘違いがあるから。
それがその類の「変化」をさらに浮き彫りにしているのです。


見た目や経済的な変化を見ている裏側には、
劣等感と嫉妬心が見え隠れする。ほぼ。

その発信元から「人」を見るので、
「変化」がそう見えてしまうのです。



「比べる概念」はそうやって真実を隠す。


自分と他人、今と昔。


「最近どう?」と聞かれた時、「以前」の話を絡めた構成の方が答えやすいのは、
「比べる概念」に心地良さを感じているから。


比べることも比べられることも「大好き!」


そうじゃないと、「生きている手応え」すらないのかもしれません。



たとえば「最近どう?」と聞かれたのであれば、
「最近はこうだ」と答えるのが自然でシンプル。



「前はこうだったけど…」 「前に比べたら…」

↑これは複雑一目瞭然。

なぜなら、もともと比較を知りたい質問者は、


「前と比べて○○は最近どう?」と聞いてくるからです。



※答えの2割以上が「聞かれていない」ことだった場合、
「複雑」と考えることをおススメします。




研究所ではこれを「言葉が流れてしまった」
と表現したりします。


自分はどう答えているのかを思い出してみると良いと思います。

そういう日常の中に、自分を知るヒントが散りばめれられており、
ついでにそれは解決策となる場合が多いのです。


この場合「変化の"真"」に近づくための解決策ということになります。


では「変化の"真"」とはなんだろう。




・・・。




僕は、前里光秀を見ていてこう思うのです。











「変化とは止まることだ!」








つづく





川満由希夫
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