思考の
回転や行動の
迅速さ。
それらが見せるものは、確かに
「変化感」に溢れていて、
人を魅了する。
テンポ、リズムの速さこそが
「流れ」であり、
わかりやすい変化の定義なのかもしれません。
僕たちは、そんな人に
憧れて、そんな人生を
素敵だと思います。
多くの人が人生の大半の時間を使う
「仕事」その仕事が
「速い」=「できる」という思いもあります。
とにかく
「変化」は「速い」
「速い」は「良い」 それが多くの方の考え方だと思います。
だから、変化という言葉は
魅力的であり、
人は
変化の代名詞のようになりたいと考えるのかもしれません。
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人が人を見て
「変化している人」と定義するのはどんな時だろうか。
単純に
「以前とは違う」と認識した時です。
それは
見た目のことでもあり、
能力的なことでもある。
経済的な違いや、
生活環境の向上などもそれに含まれる。
そういういくつかを
「変化」と認識する。
実は、
「わかりやすさ」に
邪魔されたその認識は、
「変化の"真"」を知り、それを手に取りじっくり眺めることを
妨げている。
変化を本当に
「見る」ことは、そういうことではないはずです。
どちらかといえば、「見る」より
「感じる」方が,
正確なそれを「見る」ことができる。
「わかりやすい」ことは、
良くもありながら
「浅い」という弱点を含む場合もあるのです。
ただし、
その違いは難しい。何が
「真」で何が
「浅い」のかは
難しい。
その
見極めは、
わかる人に聞くのが一番
「速い」と僕は思います。
前里光秀という人が近くにいる「僕」だからそう思えるのかもしれません。
でも、なぜ
「浅い認識」を選択してしまうのか…
それは、
「自分にはできない」という強すぎる勘違いがあるから。
それがその類の「変化」をさらに
浮き彫りにしているのです。
見た目や経済的な変化を見ている裏側には、
劣等感と嫉妬心が見え隠れする。ほぼ。
その
発信元から「人」を見るので、
「変化」がそう見えてしまうのです。
「比べる概念」はそうやって真実を隠す。
自分と他人、今と昔。 「最近どう?」と聞かれた時、
「以前」の話を絡めた
構成の方が答えやすいのは、
「比べる概念」に心地良さを感じているから。
比べることも比べられることも「大好き!」 そうじゃないと、
「生きている手応え」すらないのかもしれません。
たとえば「最近どう?」と聞かれたのであれば、
「最近はこうだ」と答えるのが自然でシンプル。
「前はこうだったけど…」 「前に比べたら…」
↑これは
複雑一目瞭然。なぜなら、もともと比較を知りたい質問者は、
「前と比べて○○は最近どう?」と聞いてくるからです。
※答えの2割以上が「聞かれていない」ことだった場合、
「複雑」と考えることをおススメします。 研究所ではこれを
「言葉が流れてしまった」と表現したりします。
自分はどう答えているのかを思い出してみると良いと思います。
そういう日常の中に、自分を知る
ヒントが散りばめれられており、
ついでにそれは
解決策となる場合が多いのです。
この場合
「変化の"真"」に近づくための解決策ということになります。
では「変化の"真"」とはなんだろう。
・・・。
僕は、前里光秀を見ていてこう思うのです。
「変化とは止まることだ!」 つづく
川満由希夫
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