明子ファイル⑨「暗黙知」を「科学」する 

「日によって価値満タンの定義が違うんです。使い方の意図が、根っこがちがう」


「補助的な役割で価値満タンを入れたりするんですけれど、
その部分が、どういう意図で、どういう形になっているのか? 
それはもう本人の力ですよね。どう取るのかは、本当に…」



第1回の「特別研究会」は本当に濃い内容で
これも一真さんがその時におっしゃった言葉です。



言葉が同じなのに内容が違う。

文脈が違うから内容も違う。



言葉とは本当に神秘的。

それを「学問」するとなるとかなりハイレベルです。




そこでミツさんが助け船を出してくださいました。


その場合に「言葉」「言葉」をつなげてくれる「接着剤」の役割を果たしてくれるものが「経験知」なのだというのです。




「経験知」「言葉と言葉をつなぐ接着剤」!





だからこそ「実践」が大切で、その「成果」(現実)を見つめ、
「自分自身を見つめ」ならが「経験知」を深め精密にしていく必要があるわけです。




ところで、この「経験知」とは
いったいどのような「知」なのでしょうか?





簡単にいうと「たぶんこうだろうな?」と思える根拠になっている知識。



この何とも曖昧模糊とした、でも感覚的にはそうとしか言えない
「知っている」という感覚こそが「経験知」です。




でも、みんながみんな同じ経験をするわけではないし
ましてやミツさんと私たちが同じ経験をしているわけでもありません。


本人は「正解」と思っていても
人から見たらそれは「違う」ということになりかねない・・・・・。



「経験知」は頼りになる一方で
主観的な領域を出ない、という危うい印象も付随しています。



このような性質をもつ「経験知」が
どうして「言葉」と「言葉」をつなぎ合わせる
「接着剤」の役割を果たすことができるのでしょうか?




わかっているよで、謎の多いこの「経験知」について
もう少し考えてみることにしましょう。




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「経験知」という言葉は、「形式知」の対極の言葉でもあります。


「形式知」「言葉で表すことができる知のあり方」

言語化され、紙や本、電子媒体に表現されている
「知の形式」と表現することができます。



ノート(2次元)にメモされた言葉は
実は3次元の私たちの脳を通して

さらにミツさんを通して
高次の世界からやってきたものです。


もともと2次元の紙やネットの媒体に書かれた文字(形式知)は
さらに深い知の次元から紡ぎだされた知でもあるわけです。




ですから、どのような分野にも、「形式知」「経験知」、この
「2つの知の形」
があります。


音楽であれば「楽譜」「演奏家」

料理なら「レシピ」「料理人」

学校であれば「教科書」「先生」との関係を見れば

「2つの知」の在り方がよくわかると思います。





たとえばベートーベンの「エリーゼのために」というピアノ曲を
素人と名人が演奏する場面を想像してみましょう。


あまり難しい曲ではないので小中学生が演奏会でよく弾く曲ですが
どんなに楽譜通りに演奏できたとしても
名人の演奏と比較すると、どこか味が違うということは「わかる」。


この「微妙な味の違い」こそが
「経験知」の領域に属しています。



このように、「楽譜」に残され表現されている楽譜は
「形式的に表現された知」であるのに対して
「身体」を使った「演奏」という次元になると
言葉では表せない「経験知」がものをいうことになるわけです。



あと、よく例に挙げられるのは「自転車」に一回乗れると
長いあいだ乗らなくてもなぜかすぐに思い出して乗れるし

乗れるようになるには大変精密で複雑なプロセスが必要なはずなのに
いざその乗り方を人に言葉で説明しようとしても
そのプロセスを言語で表すことができないというケースです。



こうして見ていくと「経験知」の世界の深み、面白さがわかってきますね。



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ところで「経験知」
「暗黙知」と表現されることがあります。



「暗黙の了解」という言葉が日本語にはありますね。

「空気が読めない」という言葉が物語っているように、日本では言語を使わないコミュニケーションがとても重視されているということがわかります。

日本人は「暗黙」の領域が得意な民族なのかもしれません。



「空気」「雰囲気」を読み取るときの基準こそが、
言葉で表現されていない「暗黙知」だからです。


そういう得意技を活かしつつ
「暗黙知」「科学」(万人に再現可能な領域)にまで押し上げ

「暗黙」の領域から「新しい知の体系」を創り出していくことこそ、前里光秀大学がめざしている方向性であり、「特別研究生」に望まれていることなのです。



これが「特別研究生」としての基本的な姿勢です。
      
      ↓↓↓

「暗黙知」「科学する」!



同時にそれはミツさんの深い思想を
理解していくプロセスでもあります。



「研究」するプロセスで、ミツさんに近づく。

それは「幸せ」に近づくことであり
「進化」が早まるということでもあります。


「暗黙知」という新しい基軸を入れたことで
私自身はミツさんの講義が何倍も面白くなっていきました。



「特別研究生」ならではの「効用」、まだまだ続きます。




                         To Be Continued …

 岩田明子





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