チャネリングは 見えない世界との
「同期」によって起こる現象です。
もともと
「ひとつ」である私たちがなぜ
「ばらばら」に見えるのか?
旧約聖書に
「バベルの塔」という
世界的に有名な神話があります。
この神話を簡単に要約しますと・・・・・
もともと同じ一つの言語を話していた人類が
天に届くほど
「巨大な塔」を
自分たちの力を誇示するために建てようとしたんですね。
その傲慢さをみかねた神さまはあることを実行した……
なんと その塔を壊して人類を世界中に
「離散」させ
人々がコミュニケーションをとれないように
それぞれ
「異なる言語」を話すようにしたというお話。
あくまでもこれ、神話ですからね
実話ではなく
「心の物語」として受け止めてくださいね。
でも人類の問題や紛争の多くが
相互の
「意図」がうまく取れないのが原因だとすれば
この神話は真髄をついている。
というわけで欧米では
「バベルの塔」の神話は
2000年以上の時を経てもなお色あせることなく
そのインパクトを世界中の人たちに与え続けてきているのです。
ウィーンの美術館に現存するブリューゲル作「バベルの塔」おもしろいな~と思うのは
「バベルの塔」の神話によれば昔の人は
相手のことをチャネリングする必要など
まったくなかったということ。
「言語がひとつ」だったからですね!
これによく似たプロセスは
赤ちゃんから大人になるプロセスにも見られます。
赤ちゃんのときって
言葉も知らないし視力も弱くて
世界はぼんやりとしていて
「未分化」な状態。
自分と他の人たちとのあいだに区別も差別もないので
警戒心がなく誰にでも
ニコニコ顔^^人間はこのような
「未分化」な状態から
わざわざ自分と他を
「区別」し
「言葉」を覚え
「分離」するというゲームに参加することになっているようですね。
こうしたプロセスを経て成人するのは
地球広しといえども
「人類」のみ!
確かに私たちは
「言葉」を習うときに
「自分」と「お母さん」を
「区別」し
「家族」と「隣の○○○」を
「区別」し
いつも一緒の「愛犬ハナ」と時折庭にやってくる「亀」を
「区別」し
大好きな「バナナ」と苦手な「ピーマン」を
「区別」することで
それぞれの感覚的な
「刺激」や
「印象」を
「言葉」に重ね合せていきます。
おなじ「犬」という言葉でも印象は様々。
「遊び」を連想する人もいれば
「恐い思いで」を連想する人もいる。
共通のはずの「犬という言葉」には「独自の体験」も
くっついてきちゃうわけですね。
だから「言葉」は共感を呼ぶ道具であると同時に
「誤解」を呼ぶ要素ももっている。
ところで
「価値満タン」という言葉。
皆さんもすでにご存じの言葉ですよね?
ところがミツさんは
この言葉を毎回
「違う意図」で使っているのを
ご存じだったでしょうか?
「言葉の背後にある意図」をつかむというのは
毎回 違う「意図」で使われている
「価値満タン」の違いを
把握する力をつけるということになりますね。
「言葉が生まれてきた場所」にアクセスできた人は
「言葉としては正解なんですけれどね~
言葉の出所が違っているんです」
というミツさんの
「言葉の意図」がわかるようになります。
同じ日本語を使っているから
理解し合えるというわけではない。
「バベルの塔」という出来事は
日本語と他の外国語との間にだけ起こる出来事ではない。
私たちの心のなかで起こっている出来事であり
同じ母国語を話す者同士のなかでも起こりうる出来事。
それを知り
それを超えるために……
言葉を言葉として成り立たせている
「ひとつ」という世界への旅たち
もうひとつの
「ゲーム」が準備されます。
「複雑さ」を経たあとの「シンプルさ」これは単なる「未分化な状態」とは違います!
「チャネリング言語」を理解する醍醐味
豊かな世界の背後にある
「もっと豊かな次元」への宇宙からの招待状
「特別研究生の入り口」がここにあります。
To Be Continued …
岩田明子
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