「特別研究会」は、一回目からそれはそれは刺激的で面白かった。
「これはもう
[ミツさん生態学]ですね~」
と興奮気味の一真さん。
ミツさんからは
「らんぼう者」になる必要性についてのお話があった。
その言葉を聞いて、わたしはとっさに思った。
らんぼう者~!!!あ~ これこそ私に欠けている「あり方」だ!
自分の過去を振り返ってみれば
確かに私には 一見「らんぼう者」に見える面がある・・・・・
無謀な留学
後先かえりみない結婚や離婚
行き当たりばったりの人生計画
その結果 22回も引越しをしている私の人生・・・・
でもそれは、ミツさんが表現しようとしている
「らんぼう者」の概念とは異なることは明らかだ。
私は 実際は
「慎重」なタイプだし、冒険したとしても
自分が決して壊れることのない程度の冒険しかしない。
「スピリチュアル」×???=
「らんぼう者」?「スピリチュアル」に一体何を「掛け算」すれば
「らんぼう者」になれるというのか?
あるいは
「スピリチュアルな人」=
「らんぼう者」なのか?
自分の人生を何とかしたい
自分の人生を思い切り豊かなものにしたい
納得できる人生を歩みたい
人生を笑いで満たし
人の人生を 笑いで明るくしたい
そんな大きな期待で始まった特別研究会だったが
スタートから自分のあり方が
「違うよっ!!」と
太鼓判押されてしまった気持ちになった。
「
らんぼう者か……」
もちろん、ここでいう
「らんぼう者」というのは
粗雑な言動をする人のことでないことも明らかだった。
「らんぼう者」という言葉は
「破壊」と同じ意味でつかわれているのかもしれなかった。
自分でそれまでの人生を
「破壊」して
一瞬にして
「シフト」する力。
それは一瞬の変化を楽しむ宇宙人のあり方でもある。
それを
「ハラがある」という言い方で
一真さんは説明していたっけ・・・・・。
そのような「あり方」が
他の人の人生にも派生して
世界は生成発展していくのだろう。
「慎重」であることのメリットもあるけれど
「慎重」であり続けることのデメリットを考える必要があった。
「慎重なあり方」は
「過去の自分」=「惰性」
をトロッコにのせて後押しする
“きれいな言い訳”にもなるのだから。
「変化」「創造」「挑戦」 が
スピリチュアルの本質であるとすれば
一瞬一瞬の変化が当然のことであり
目の前のリアリティーをそのまま
ドンッ!! と引き受けるような
「らんぼう者」である必要がある。
これまでの自分を
「破壊」して
未知の世界に
「挑戦」したいと思った。
そのために
自分が何に対してこんなにも
「慎重」なのかを
もっともっと正確に知る必要があった。
To Be Continued … 岩田明子
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