明子ファイル③「らんぼう者」 



「特別研究会」は、一回目からそれはそれは刺激的で面白かった。




「これはもう [ミツさん生態学]ですね~」
と興奮気味の一真さん。





ミツさんからは
「らんぼう者」になる必要性についてのお話があった。



その言葉を聞いて、わたしはとっさに思った。





らんぼう者~!!!



あ~ これこそ私に欠けている「あり方」だ!





自分の過去を振り返ってみれば
確かに私には 一見「らんぼう者」に見える面がある・・・・・





無謀な留学
後先かえりみない結婚や離婚
行き当たりばったりの人生計画

その結果 22回も引越しをしている私の人生・・・・



でもそれは、ミツさんが表現しようとしている
「らんぼう者」の概念とは異なることは明らかだ。





私は 実際は「慎重」なタイプだし、冒険したとしても
自分が決して壊れることのない程度の冒険しかしない。




「スピリチュアル」×???「らんぼう者」?

「スピリチュアル」に一体何を「掛け算」すれば
「らんぼう者」になれるというのか?



あるいは「スピリチュアルな人」「らんぼう者」なのか?






自分の人生を何とかしたい



自分の人生を思い切り豊かなものにしたい
納得できる人生を歩みたい



人生を笑いで満たし
人の人生を 笑いで明るくしたい






そんな大きな期待で始まった特別研究会だったが
スタートから自分のあり方が「違うよっ!!」
太鼓判押されてしまった気持ちになった。





らんぼう者か……」





もちろん、ここでいう「らんぼう者」というのは
粗雑な言動をする人のことでないことも明らかだった。






「らんぼう者」という言葉は
「破壊」と同じ意味でつかわれているのかもしれなかった。





自分でそれまでの人生を「破壊」して
一瞬にして「シフト」する力。





それは一瞬の変化を楽しむ宇宙人のあり方でもある。




それを「ハラがある」という言い方で
一真さんは説明していたっけ・・・・・。




そのような「あり方」が
他の人の人生にも派生して
世界は生成発展していくのだろう。





「慎重」であることのメリットもあるけれど
「慎重」であり続けることのデメリットを考える必要があった。



「慎重なあり方」
「過去の自分」=「惰性」
をトロッコにのせて後押しする
“きれいな言い訳”にもなるのだから。




「変化」「創造」「挑戦」 が
スピリチュアルの本質であるとすれば

一瞬一瞬の変化が当然のことであり
目の前のリアリティーをそのままドンッ!! と引き受けるような
「らんぼう者」である必要がある。



これまでの自分を「破壊」して
未知の世界に「挑戦」したいと思った。




そのために
自分が何に対してこんなにも「慎重」なのかを
もっともっと正確に知る必要があった。





                          To Be Continued …

 岩田明子







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