『東京・特別顧問集中講義』vol.1 

1月11・12日と2日間にわたり
行われた『特別顧問集中講義』






今年は基本を叩き込む!!

だからそこ基本を『型』として入れていく。



集中講義でも、この『型』について
色々なお話しがありました。




楽しかった講義内容を今回は
ちょっと真面目に説明していきますね(笑)









『型』には、『私達』という概念があること。


『私達』という思いが『型』を作るということ。






茶道千家流の始祖である千利休を例えに
ミツさんは『型』について説明をしてくれました。






商人の跡取りとして品位や教養を身につけるために
16歳で茶の道に入る利休。

師である武野紹鴎(じょうおう)の教えを更に進め、
茶道具に留まらず茶室の構造、作法、
茶会全体の様式まで精神充足の追求に努める。


これ以上何も削れないという極限まで無駄を削って
緊張感を生み出し『侘び茶』を大成させていく。






高名な商人であった父、
織田信長、豊臣秀吉といった天下人に使えながらも
師である紹鴎の思想に基づき、
多くの人と関わりながら、茶の道を極めていく利休。





その多くの人の影響によって形成されていく『型』

『型』そのものが私達であり『We』そのものだということ。






利休だけで作られた『型』ではなく
利休を取り巻く多くの人のよって『型』が出来て行く。




『型』はその人の歴史そのもの。




『型』 = 『We』







だから『型』を使う時に、私、私と我を通していると
『We』である『型』そのものが自分の中へ入る事も
機能することも起こりません。






今の自分をどれだけ壊せるか?
自分を手放し『私達』として生きれるか?





『型』そのものが完全に『他力』であることを
どれだけ『教養』にできるか?




全てを忘れた時に残る『確実に知っていること』
それが『教養』です。






挨拶をするようにごくごく自然に
普段から自分が当たり前にやっている事。




それが『教養』です。

何を教養にするかで人生が大きく変わってきます。






特別顧問集中講義






小さい頃からお茶が大好きで
食事の後に緑茶を飲むのが習慣でした。

母を喜ばせたくて、
お茶をいれるのが私の日課になりました。




高校生の時、お茶と和菓子が食べれるのなら
と思って入った茶道部(笑)






そんな茶道部時代、

利休が考案したとされる『にじり口』を
入りづらいなと思いながら頭を低く下げ
茶室に入っていった記憶が蘇ってきました。



とても間口が低く、狭く
なぜこんな入口にしたのだろう?と
当時は思いながら先生の話しを聞いたものです。








天下人となった秀吉でさえも
頭を低く下げなければ入れない間口。

しかも武士の魂である刀を外してからではないと
つっかえて茶室へ入れない。




『にじり口』によって利休が伝えたかったこと。




それは、




茶室に入れば、身分の上下がないこと。
茶室という小宇宙の中では皆が平等な存在だと・・・・・





茶道の『型』を入れるということは
こういった利休の思想そのものを
吸収していくという事に繋がります。










『価値満タン』という言葉を生み出した
『前里光秀』という『型』を入れていくには、




ミツさんが今まで触れ合ってきた人々、
ミツさんの歴史そのものが大好きで
ミツさんという生き方に敬意を持ち、
『前里光秀』として生きるということ。





『学ぶ』とは『まねぶ』こと。



ミツさんの在り方、ミツさんの行動
ミツさんの思想を真似て『型』として入れていく。



ミツさんを見続けて、
私自身が『前里光秀』となっていく。



自分を壊し、『前里光秀』という生き方で
多くの人と関わっていく。









今の自分を捨てて、『私達』として生きた時に
『前里光秀』になれたということなのでしょう。









株式会社 前里光秀研究所

Miyako



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