vol.1 「別の顔」 -ハント症候群との闘い- 

ヒーリング体験談 -ハント症候群との戦い-

vol.1 「別の顔」




約10年前。

まだ沖縄で活動していた
前里光秀研究所は、
4泊5日の泊りでのワークショップを
開催していました。

そこに参加したある女性に、
僕は釘付けになりました。

僕が生きてきた30年と少しの中で、
その人が一番、圧倒的に
きれいな人だったからです。




松永みやこさん。
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そして、初めての出会いから少ししたら、
この前里光秀グループに入社しました。

あっという間の出来事でした。
とても嬉しかったので、
僕は当時、こんな動画を作りました。

↓ ↓ ↓



そして僕はいつしか、
松永みやこ専属カメラマン!?
になっていました(笑)

動画やblogにみやこさんの顔を出すときは、
必ず僕が撮影をして、本人よりも、
僕が「これがいい!」と選んだ
「最高の松永みやこ」だけを
出してきました。

それくらい勝手にこだわってきました(笑)

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みやこさんが入社して間もない頃、
2人で2泊3日程度の
神戸出張に行きました。

その時の僕のミッションは、
新入社員であるみやこさんに、
会社の理念や思想、仕事に対する考え方
前里光秀グループの在り方を伝える!

というものでした。

要するに

『仲間になる』

その為のミッションでした。


当然それは簡単ではなく、
伝わったのかどうかわからないうちに
出張は終わりました。


ただ、その後、
そんなことを心配する
必要はありませんでした。

みやこさんは、誰よりも強い意志で、
会社を愛し、自分の責任で、
本当に一生懸命!
仕事をしました。

そんなに器用なタイプではないからこそ、
人一倍努力をしていたと思います。

いつのまにか、
株式会社 前里光秀おしゃれデザイン
というグループ会社のリーダーになり、
ヨガという、これまでグループにはなかった
新しい概念を確立させ、その象徴として、
会社をどんどん拡大していきました。



もう、おしゃれデザインの理念や思想は、
みやこさんそのものになっていたし、
『仲間になる』という僕のミッションは、
まったく必要がないくらい、
みやこさん自身が仲間を守りました。



そして、僕はある言葉を思い出していました。
何年も前に前里が言った言葉です。

「お前は未来に入社する女性に抜かれるよ」

気を抜かず、
今のうちに準備をしないと
必ず抜かれる。


僕は忘れていました。

それは、「松永みやこ」のことでした。


未来というのは、
知るだけでは変えることができないと、
その時に学びました。





そしてさらにあっという間に
10年近い月日が流れ、
2022年7月9日 20時過ぎ。

電車に乗る直前に、
電話が鳴りました。

前里からでした。


「今から緊急でみやこさんのヒーリングをする」
「みやこさんの自宅に急いで来るように」


具合が悪いのは知っていました。

でも「少しめまいがする」
と聞いているだけでした。


嫌な予感を抱えたまま、
僕は急いで向かいました。


そして、数日ぶりに会ったみやこさんは、
僕の知っているみやこさんでは
ありませんでした。


まさか
自称「松永みやこ専属カメラマン」
のこの僕が、こんな姿のみやこさんを
撮影することになるとは、
1ミリも予想していませんでした。








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・・・。




「ラムゼイハント症候群


初めて聞く病名でした。




みやこさんの顔の左半分は、
ハント症候群による顔面神経麻痺で、
動かなくなっていました。


左目は閉じることができずに
半開きで、白目で、ほうれい線も消え、
口角は垂れ下がり、数日前に会社で
普通に話していたみやこさんの顔は、
別の顔になっていました。

みやこさんは、
まともに歩くこともできず、
ろれつも回らず、
水を飲んでも
口の左側から垂れ流しました。


僕は、顔の左側を手で隠しながら、
力なくこちらを見るみやこさんを見て、

「思ったよりたいしたことないね」

という嘘の顔をして、
いつも通り笑いました。

そのあと、
一通り病気とその症状の
説明を聞きました。

病院では「重度の顔面麻痺
という診断だったこと。

そして、この病気が、
重度の顔面麻痺が、

「いかに治らないのか」

という説明を受けたこと。


明日にはもっと状態が悪くなる、
あさってにはもっともっと悪くなる
と言われたこと。

僕は淡々と聞きました。

同時に僕は、

人はこんなに突然
なんの前触れもなく
病気になって、

人の人生は
こんなにもあっけなく
どん底に落ちるのか…

と、愕然としていました。


そして、久しぶりに
33年前に癌で他界した
父親を思い出していました。

父親も、突然癌になり、
あっという間に、
46歳という若さで
この世を去りました。

小学生だった僕には、
理解する時間も
整理する時間もないまま、
一瞬のように
父親はいなくなりました。

「そうだ!病気はいつもこうだった」

いつも突然で、
いつも一瞬で、
人生のすべてを奪い去る。

夢や希望や笑顔を
一瞬で奪い去る。

だから、忘れてはいけない。

病気は、治すのではなく、
「病気にならないこと」
が何より大事で、
そのためにできることは、
なんでもやる必要がある。

それでも大切な誰かが
病気になったら
自分で治して、
自分で
守るべきだ。

そのためにヒーリングがある。
もう一度、ちゃんと、
本当に理解しよう。

そう思いながら同時に、
この「悲劇」を見るまで
こんな大切なことを忘れていた自分の
情けなさを感じていました。


さらに、

「これは治せるのか?」
「治すとしてもどのくらいかかるのか」
「みやこさんは仕事復帰できるのか」

目の前で実際に起きている現実と、
過去と未来を同時に見ている気分でした。



そしてしばらくしたら、
それらの思考を消すように
前里が僕に言いました。











「これを完全に治すよ」




つづく