『「ゲーマー」と「レーサー」』 


人は誰かとの比較の中で優位性を競っています。


例えば個別指導の学習塾において、
1対1の関係性だけで、
競争概念がなく講義をしている生徒、
講師は「ゲーマー」です。

1対1以上に、
他を意識して常に競争心を持ち講義をしている生徒、
講師は「レーサー」です。

例えば「席次で何番以内を目指そう」と
具体的な数字目標を掲げて講義にのぞんでいる生徒、講師は、
その場所にはいない同じ学年の生徒全員をライバルとみなし、
競争心をもちながら講義にのぞんでいます。

もっといえば学校を越えて、
地域、国内、海外の同年代の学生も潜在的な競争相手とみなし、
レースにコミットしています。

一方は目的意識なくただやっているような、
ダラダラとした低エネルギー的な雰囲気になり、一方は
「どうすれば勝てるのか」「どうすれば勝ち続けられるのか」
という良い感じの緊張感があり、
その切磋琢磨の中で生徒が成長していきます。

優秀な講師とは、
レーサーのメンタルを育てる講師であり、
自身もまたレーサーであると言えます。

経営においても、地域に選ばれる企業、応援される企業と
そうでない企業に分かれます。

「面白い人」は「面白い人のグループ」の中で
面白さを競っているのかもしれません。

好むと好まざるに関わらず、
意図する、しないに関わらず
全員が最初から最後まで
何かしらのレースの中にいると言えます。

レースの中にいながら
競争概念のない「ゲーマー」でいるということは
即刻負けを意味します。

優秀な「レーサー」、
負けない「レーサー」でい続けなければいけません。

最後に、では
どうすれば、負けないレーサー
い続けることが出来るのか?

真剣に考えていきたいですね。


どの時代にも、同じ法則が流れ
どの地域にも、また同じ流れが足元を流れている

法則の存在感は、微細な光の虹のようであり
また、いつも上座に鎮座し
世の中に微笑みかけている。

逆に
下座角度から映る景色は
また逆に写るようです。

映るから間違える。
以前、教えてもらったことがあります。

レース場コーナーが分かる位置は
神々の観客席のみ。
下座では、少し??が起きるように見えるだけ。
コーナーと分かる時には、コース外。
面白いですね。



最後に、
いつもの彼が、神楽坂の神々と
また遊ぼうとしていますよ。





比嘉公彦