前里光秀大学⑳ 「好き」の先にある使命 

時代の流れが速いということは、
やはりそれによって溺れてしまうこともある
と考えることは普通です。



前里はそういうときの対処法として
「何が好きかを知っておく必要があります」
と教えてくれました。



例えば読書が趣味の人が落ち込んだ場合、
その楽しくなる方法として読書をするでしょうし、
スポーツ好きな方は体を動かすでしょう。

前里は、「どうすれば楽しくなるのかを知っている」
ということを「心の強さ」と置き換えていて、
それはそういう不調にも「脱する方法を知っている」
という意味が入っています。

逆を言えば、全体的に興味のない人は
そういう不調のときにそこから脱しにくいです。




こういう「好き」と、その裏返しの「嫌い」を
はっきりさせておくことは、
自分の「ものさし」をつくる大事な作業なのです。





それを実践している前里からするとおかしな質問があって、
それは「私の使命はなんですか?」というもの。


もちろんメッセージとして伝えることが必要な場では
ガイドなどから話を聞いてそれを伝えますが、
これは自分の「ものさし」が分からなくなった結果、
誰か「分かる」という人の「ものさし」ではかろう
とした質問です。


誤解しないでください。

こういう質問が悪いわけではなく、
「私の使命はなんですか?」というのは、つまり
「私のしたいことはなんですか?」ということと同じなんです。

だからそういう場合に大事なのは、
「あなたはこれがしたいはずだ」という
自分の「ものさし」を与えることではなくて、
その人自身の「価値は満タン」を教えてあげることです。

そうすれば、自ずと好きなことが分かるし
その先に使命とすることも見えてきます。






この世界は「比較の世界」です。

創造的な「自分」は、その創造性を使って
「自分」をたくさんに分離しました。

そしてその周りの「自分」との比較した関係の中で、
本来の「自分」がどういう存在であるのか
を知るようになっています。



世界には人の数だけたくさんの「ものさし」があります。

それこそ多様性極まりなく、
前を向いても左を向いても斜め後ろを向いても…
すべて違った「ものさし」が表現されています。

そのときに中心となる自分が
しっかりとしたラインのついた「ものさし」をもっていると、
あらゆる「モノ」を簡単にはかることができます。




「これはいいね」

「これは違うな」

「これは今は必要ないだろう」




自分の「ものさし」があると、
その「比較の世界」に位置づけされた「自分」がより明確になり、
結果として「比較の世界」から出やすくなります。




つまり、比較で自分を知るようになる段階から抜けて
「ひとつ」「私たち」「すべて」の中での側面を担う自分
という広がった認識をもつようになってきます。








それが、「意識の進化」です。







どんな小さなことでもかまいません。

あなたには、どんな「好き」がありますか?








前里光秀研究所 和田一真