自由研究は「超常現象」 




前回の「トレーニング」の中で

「子供の頃の自分を思い出しました」

と書きました。



なので、何を思い出したか

私がどんな子供だったかお伝えします。





霊的なものや超能力、UFOが大好きで

本で読んだサイコロを使った念力を身につける練習や

カードの裏を当てる透視の練習、

従兄弟に無理やり協力してもらってテレパシーの練習などをしていた。

もちろんスプーン曲げもやった。



4年生の時は夏休みの自由研究に「超常現象」を選んだほどだ。



守護霊という言葉が大好きで格好良くてたまらなかった。

自分にはどんな守護霊がついていて

悪い霊が来たらどうやって戦うのだろう。などと常に考えていた。

愛読書は「うしろの百太郎」だった。

それに書いてある「幽体離脱の方法」を何度も実践した。

いろんな準備が必要で、それを親にばれないようにこっそり準備していた。

中でも1番大変だったのは


「梅干の種を割ってその中にある種のようなものを食べること」だった


今は笑えるが当時は真剣だった。



テレパシーの練習などはアレンジも加えていた。

ただただ言葉を送るのではつまらない。

だからこうした。

まずはおもちゃやお菓子を5個並べて

従兄弟がその中のひとつを思い浮かべて送る。

それを何回連続で当てることが出来るかというものだった。



そして不思議と従兄弟が思い浮かべて送ったおもちゃが光って見えた。

当時は何も考えずにその光をサインとして答えていたが

とにかくかなりの確立で当てていた。



サイコロの練習では「偶然そうなる回数の壁」を何度も越えた。

透視もかなり当てることが出来た。

オーラを見る練習は「真っ暗闇で自分の手のひらを見つめる」

というものだったが、押入れに入り汗だくになりながら、

もやもやした煙のようなものが見えるだけであまりピンとこなかった。

そして唯一上手くいかなかったのは「幽体離脱」だった。

これはすぐに諦めた覚えがある。





とにかく私はそんな子供だった。

いつの間にか興味を持たなくなってしまったが

心の奥でそれを忘れたことはなかった。




前里光秀という親友が


「幽霊が見える人」


だったことも忘れない大きな要因だったのだろう。








そして結局私は今「そういう仕事」をしている。

宇宙人と友達になり、会話を交わしている。

守護霊を視て会話をして伝えている。



悪い霊と戦う存在ではなかったのは少し残念だったが 笑







そして子供の頃を思い出すといつもこう思う。






「人生とはなんと素晴らしいものか」






そしてもう1つ。










「練習していて良かった」と。







前里光秀研究所 川満由希夫